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小説家・古川日出男、北京で「アジア文学」を語る(2)

CRIPublished: 2019-04-02 20:23:00
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その答えというのは、とても意外なものでした。

<死者を語り手に、本に閉じ込めた命は「読まれて」甦る>

『平家物語』は全部で13巻あると言いましたが、12巻目の最初のエピソードは「大地震」というタイトルなんです。これは本当にあった、1185年の地震なんです。今から833年前の、マグニチュードでいうと7.4の地震でした。

この地震が、当時の首都である京都を直撃して、いろんな木の建物が倒れて、都は火の海になった。すごい数の人が死にました。ですが、例えばどれくらいの数のお寺が焼けたとか、どれだけの数のお坊さん、偉い人、貴族が死んだかという記録しか残ってなくて、庶民なんて何の価値もなくて、言葉で数なんか数えてもらっていませんから、何人死んだかわかりません。

ただ、恐ろしい数が死んでるはずです。当時の人たちは、この巨大な地震がなぜ起きたのか、「何で俺たちはこんなつらい目にあったんだろう」と考えて、理由は一つしかないと思い至るんです。それは、天皇まで水死させられて、平家が死んだ祟りだろうと。

誰を語り手にするか、3つ目のパートを柔らかな文章、より癒しのイメージのある文章にするにはどうすればいいかと考えた時に、「この地震で死んでいった人たちに語らせることはできないものかな」と。もしも当時の人たちが、平家の祟りによって自分たちはこんな目にあったんだと思っていたのなら、平家物語の中にこの大勢の、何万人か分からないけど大勢の死者が、語り手として出ていいんじゃないかと思ったわけです。

すごく変なんですけど、その語りというのは、最初は誰が語っているか(自分でも)わからないんです。ナントカカントカと書いていると、途中で、女性の登場人物に焦点を当てるのが大勢の死者の語りとしていいんじゃないかなと思ったわけです。最後の最後、13巻目を訳すときには、もうはっきりと、「しかし、その人が、その人のことがまだ語られていない。まだ語られていないいから、鎮められていない。もうバチはある。琵琶のバチは必要とされていないけれども、私たちは語らなければならない」と。

「私たちは」という言葉が現れてくる。もう語り手は何人も何人もいるんだ。男も女もいるんだ。年寄りも子供もいるんだ。身分の高い人も低い人もいるんだ。そういうのを区別無しに殺した。区別無しに殺したから、地震はひどい。平家の祟りだと思ったか、思わなかったかは分からない。でも、平家物語の中で登場している、その人達みんなに語ってもらえれば……なんて言ったらいいかな、僕は『平家物語』の中に、東日本大震災で死んでしまった2万人近い人たちも、語り手として閉じ込められるんじゃないかと思ったんですね。

閉じ込めるというとマイナスなイメージがありますけど、本の中に閉じ込めれば、誰かが開けば、また読まれて甦るわけです。

時間を遡って、833年遡って、その当時の地震で死んだ人たちと一緒に、僕が訳した『平家物語』の中には、東日本大震災の東北で死んだ人たちも、何千人、何万人も一緒に語り手として、いつでも読者の耳に、こうやって声を伝える。歌いかける。そういう存在になるならば、それはただの不幸ではないと思って、そういう作業に取り組んできました。

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