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小説家・古川日出男、北京で「アジア文学」を語る(3)

CRIPublished: 2019-04-09 20:12:00
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仏教っていうのは、西アジアを経由して、中国に来て、それから朝鮮半島、日本に伝わってきた。一方で、チベットにも入ったし、東南アジアにも行った。或いは、モンゴルかチベットにバッ飛んで、広がった。色んなルート辿ります。ルートを辿っている中で、一つの仏というコンセプト、概念が違う形をして、色んな地上に降りていた。ユーラシア大陸のアジアのいろんな地域に降りていた。そして、竹簡の展示を見た時に、漢字というのは、長い時間をかけて、時間が例えば上から今に向かって、下に向かって流れるとしたら、長い時間をかけて、本当は同じコンセプト、概念のものをいろんな形に変えていった。

<「アジア文学」の確立、まずは気づく力を培うことから>

僕が『源氏物語』を『女たち三百人の裏切りの書』という自分の話にする時に、紫式部と手を組んで共作することによって、源氏物語に欠けているんじゃないか、ちょっと差別的なんじゃないかと思うものを、今の視点から『源氏物語』に足していって、この時間全部に覆って、ここに到達するように何かを作ろうとしました。

あるいは『平家物語』の場合、大昔にあってそのことを書いていて、まだ変わっていない。でも、それを音楽的な朗読もできるようなものにするために、考えた末に、ついこの間の東日本大震災で死んでいった死者たちが入ってしまう。その時、この八百年の幅を越えて、『平家物語』の全体を覆う、ぼんやりとした概念のようなものになっていった。

こう考えると、自分が二つの小説で、『源氏物語』と『平家物語』を通して、時間というものを、もう二度と戻れない、一つ一つの時間しかないものにするんではなく、全部を覆うとこにちょっとだけ近づけられたように、漢字を見たり、仏像を見たりすると、広いアジアの空間に散らばっている、皆が本当に見ているものは、別々なところに降りていることが分かる。そして、日本語で小説を書いていると、紫式部が平仮名の仮名文学を作ったように、漢字から生まれたものを使って書いている。

今の、例えば閻連科さんは簡体字で書いていて、簡体字はもちろん、漢の時代の人とか読めないわけです、全然違う字体で、明の人が読めるのかもしれないけど。閻連科さんが書いた小説。でもやっぱり、それは同じように降りてきた字であって、だとしたら、その仏教の言葉で考えれば、我々はそもそもそれぞれの場所にいて、自分たちの文学を今の自分の国の縛りやこだわり、ただの囲い込みを越えて、大きな文学を書きたいと思っていけば、自然に遠い、遠い昔の時間から流れてきた、漢字が変わっていた、この空間の広がりの中で、同じものを見ていけるんではないか。もしかしたら気づいていないだけで、もう僕たちは時間という縦のものを、横に空間に変えて考えることで、「アジア文学」というものを始められるところに全然いるんじゃないか。ただ単にそれに気づいていなかっただけなんじゃないか。気づかなかったものを、今気づけばいいんじゃないか。

そして、日本人は当然平仮名と片仮名という仮名しか使えないから、それはもう、例えばハングルとか、そういうものが補っていたものが補えません。日本人にできることはそれだけでしかない、あるいは、閻連科さんだったら、もしかしたら、簡体字で書いていることによって、繁体字でしか考えたり、書いたり読んだりしない、香港や、台湾の人には欠けている部分があるかもしれません。だから翻訳されていくのかもしれません。

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