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小説家・古川日出男、北京で「アジア文学」を語る(3)

CRIPublished: 2019-04-09 20:12:00
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カミュの戯曲、フランス語だったものを、二人の日本人が、二つの日本語にしたものがある。そこから生まれてくるものを僕がここの場で、即興で、日本語にするときには、カミュが見ていたこの世界に、実はそのまま飛び込んでいけるんじゃないかと思って。

それを口だけでいうと、お前なんというか、作家を蔑ろにしているよ、原作を蔑ろにしていると言われるかもしれない。でも、それを実際にイベントで50分間やって、観客はちょっとびっくりして、なんかこの戯曲が初めて分かった、みたいな反応が来た時に、やり方として間違ってないと思ったんですね。

<漢字から仏像の顔へ、広いアジアの時空があるから見えるもの>

この戯曲を古い訳と新しい訳から、勝手な、即興な訳を作って、原文に近づいていくという試みと、実はすごく似ているなあと思ったのが、昨日見た展示です。

これは清華大学の中の博物館で、竹簡に関する展覧でした。紙が用いられる前に、紙の代わりに竹の札に字を書いていた。これはお経のものなんですけど、こういう竹簡の展示を見に行きました。そこに昔の漢字とそこから発展して来た漢字、それから篆書体、隷書体、簡体字になる前の漢字、今の簡体字とあるわけです。同じ文字がずーと並んでいる。全部違う形なわけですよ。

簡体字は、僕は分からない。あまりにも古いものは分からない。篆書や楷書だったら、分かる。繁体字みたいな、台湾で使われているようなものも分かる。だけど、同じ、本当はおんなじ言葉を表している。中国の文字はどのぐらい生まれていますかね。4千年くらいですかね。少なくとも3千年くらいありますよね。3千年間、一つのことを表すのに、全然違う字の形をしていた。このバラバラに見えるけれども、本当は同じところを目指していたというのは、何か小説家が、あるいは劇作家が、自分が描こうと世界を遠くに見ながら、近づこうと頑張って、そして翻訳家の原文を通しながら同じところに近づいて行こうとするのと、すごく似ているような気がしました。

一昨日ですけど、故宮の方に案内してもらって、故宮の中の展示の一つで、いろんな地域の、いろんな年代の仏像を見たのが、とても興味深かったです。お坊さんの顔の形はやっぱり、土地によって、時代によって、随分違いますよね。これはもう皆さん見たら、「へー」と思うし、あるいは日本の仏像を見た瞬間に、「ちょっとこの仏さん、顔変よって、日本人っぽい」とか、とすごく思うかもしれない。

例えば、西アジアのものだったら、やっぱり西アジアの人の顔をしているし、インドに発祥したものだったら、そちらの地方の人たちに近い顔をしているし、或いは、東南アジアの方に行くと、本当にタイとか、いくつかお寺を回ったこともありますけど、全然違う仏像がありますよね。

じゃ、その仏像の顔はみんな間違っているのかというと、そんなことないですよね。僕たちは全員、仏様という本当は描写できないんだけれとも、ここに顔があるものをみんなどうにか、例えば彫刻をする人が、絵を描く人が、写そうとする。

その人は、例えば、中国人だったり、日本人だったり、タイの人だったり、インドの人だったりする。それぞれ違う形で描いているだけど、本当は同じものを描いているんです。バラバラなんだけれども、同じものを描いている。

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