【特別寄稿】清華大学劉暁峰教授:卯年のハナシ月にウサギがいる理由
■「月とウサギ」の組み合わせは紀元前からあった
月とウサギを結び付けて記された最古の記録は『楚辞・天問』(完成は紀元前26年~前6年とされる)です。
「夜光何徳,死則又育。厥利維何,而顧菟在腹」という詩文に対し、後漢の王逸は「言月中有菟,何所貪利,居月之腹顧望乎。菟一作兔」と注釈をつけ、「月にはウサギがいる」と説明を加えました。以上の記述から、文豪・屈原(紀元前340-前278)が暮らしていた戦国時代(紀元前5世紀-前221年)にはすでに、月とウサギが結び付けて語られていたことが分かります。
では、なぜ両者は結び付けられたのでしょう。
現代人にとって、月の満ち欠けは天文現象の一つに過ぎませんが、古代人は「月は約30日周期で死んでは復活する」と見なしていました。そのため、月は神秘的な力を宿しており、永遠の命を持っていると信じられていたのです。一方、ウサギは繁殖力が旺盛で、1回の出産で4~8匹の子ウサギを産みます。妊娠期間は1カ月と短く、しかも月の満ち欠けの周期とほぼ同じです。さらに、昔の人々の目には「ウサギの口には障害がある」と見えていたらしく、そんなハンディキャップを乗り越えて子孫を増やし続けることができるウサギは、非常にたくましい動物だと認識されていたのです。
月とウサギの共通点は、絶えることのない生命力。それが、古代の中国人が両者を並べて語った理由だと推測できます。
■月世界に生きるウサギそのイメージはさらに発展していった
中国人のイメージする「月の世界」は、ウサギが住むだけにとどまらず、どんどん進化していきました。
出土した漢代の画像石(絵画が刻まれた石材)にはウサギや月の文様が多数見受けられます。「月に暮らすウサギ」の目線に立ってみると、漢代になって起こった大きな変化といえば、まず西王母の世界が生まれたこと、次に陰陽五行説が浸透したことと言えるでしょう。
『中国漢画像石全集第二巻山東漢画像石』(山東美術出版社)2000年版
右上が不老不死の薬をつくる玉兎で、その下に薬を運ぶ2匹のヒキガエルがいる
西王母はもともと西方の原住民部落の名前でしたが、後に月を司る不老不死の女王の名となりました。西王母が司る月世界のメンバーには、玉兎のほか、九尾の狐、青鳥、ヒキガエルなどがいます。玉兎には、薬草をついて不老不死の薬をつくる役目があり、出来上がった薬を運び出すのはヒキガエルの仕事です。
薬をつくる玉兎
実はこのヒキガエルも、月とウサギの関係を語る上で欠かせない存在です。生死と復活の象徴であった月の満ち欠けですが、ではなぜ月が欠けるのかというと、漢代では、ヒキガエルに食べられてしまうためだと想像されていたのです。
馬王堆の帛書に描かれた月・ヒキガエル・玉兎