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【日本語放送80周年~その時その人】八木寛さん

CRIPublished: 2021-12-15 18:46:00
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文革後、中国から八木さん夫妻に「専門家として北京放送に戻って欲しい」という要請が何度もありましたが、その都度、「わたしも歳をとりましたので、昔のようには働けません。そちらに行ってもお手数をおかけするだけです。わたしは日本で北京放送の普及など、日中友好の仕事を続けます」といって固辞しました。

1994年、八木さん夫妻は仕事で北京に駐在していた息子たちに迎えられ、再び北京に戻りました。

北京の自宅にいる八木寛さん・トシさん

2008年12月23日、八木寛さんは北京でその生涯を閉じました。享年93歳でした。トシさんは2011年2月2日に北京で他界し、享年91歳でした。北京放送局で過ごした20年あまりの人生について、子どもたちが父親を偲ぶアルバムで次のように総括しています。

「父は多くのものを学び、互いに信頼しあう多くの同僚に巡り会った。忙しい日々ではあったが、父にとっては最も楽しく、幸せで、忘れ難い日々でもあった」

北京の自宅で昔の同僚たちと集まる八木さん夫妻と長女・ゆかりさん

1996年秋北京の自宅で北京放送スタッフの李健一さん、鄭湘アナと日本から訪れたリスナーの神宮寺敬さん・綾子さんを迎える八木さん夫妻

そして、晩年の北京生活について、こう綴られていました。

「20数年ぶりの北京での生活は、父にとって以前の中国での体験とは全く違う、激変する新しい中国を実感する日々であり、また、親切な中国の人たちにも恵まれ、ゆったりとした、楽しい晩年であったに違いない」

【参考資料】

◆胡耀亭『中国国際広播電台発展史第1卷》

◆八木鉄自分史『光陰矢の如し』

◆「華風(ホワフォン)」八木章のブログ2021年06月23日

◆李順然『二十世紀人留給二十一世紀的故事』

◆1999年10月10日付「人民日報」記事「最初に毛沢東の著作を翻訳した日本人」

◆陳真『柳絮降る北京より――マイクとともに歩んだ半世紀』

◆ ◆

この企画をお聞きになり、お読みになってのご意見やご感想、または80周年に寄せた思いやメッセージをぜひお寄せください。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。

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