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【日本語放送80周年~その時その人】八木寛さん

CRIPublished: 2021-12-15 18:46:00
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八木さんは中国人スタッフと日本人スタッフの信望を集め、日本語組の統括、副統括を務めた時期もありました。北京放送の歴史で、外国人が一つの部門統括を務めたのは、八木さんしかいなかったといわれています。

陳真さんは自伝でこのように振り返っています。

「当時は、日本人局員とわたしたちの間は何の分けへだてもなく仕事も待遇も同じであった。八木さんは副統括として業務の指導に当たったが、気さくで誠実で、責任感が強かった」

1955年に入局した李順然さんは、「八木さんの原稿には、どのページにも一字一句手を抜かない真剣勝負そのものの気迫が感じられた」と語っています。八木さんが北京放送に遺してくれた数ある宝物の中には、とりわけ、次の言葉が印象に残っているとエッセーに書かれています。

「毎日、送信所のアンテナから日本に向けて流される一分一秒の電波は目には見えないけれど、とても高いお金を払っているんだよ。このお金は、労働者や農民が汗を流して手に入れたお金、わたしたちはこれをお預かりしているのだ。一銭一厘たりとも無駄にしてはいけない。番組製作に当たっては、一分一秒たりとも手を抜いてはならない」

北京放送時代の八木寛さん

1960年代初頭・同僚とともに

1960年代後半・同僚とともに

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