小説家・古川日出男、北京で「アジア文学」を語る(1)
「千年に一度」の文学的理解から始まった紫式部との共同創作
案内人:王小燕
今回は、今年でデビュー20年を迎えた小説家・劇作家の古川日出男さんによる、北京での講演会の内容をご紹介します。
古川さんは去年秋に中国を初訪問しました。その滞在は中国観光だけでなく、中国現代文学館への訪問、中国人作家との交流、清華大学や北京外国語大学に招かれての講演会、中国人の学者や学生らとの交流会なども開かれる一週間となりました。
去年9月18日放送の「CRIインタビュー」では、清華大学文学創作&研究センターの主催による講演会「千の耳を持つように~ヒップホップ文学という実験」の様子を抜粋してご紹介し、初訪中への思い、ヒップホップを文学に持ち込むという実践、そして古川さんの朗読の音声をお届けしました。これに対して、リスナーからは「一度聞くだけでは感想が書けないほど衝撃的な内容」「その場で聞きたかった」と、熱烈なメッセージの添えられた受信報告も届きました。
今回からお届けするのは、北京外国語大学北京日本学研究センターで行われた講演会と交流会の様子です。中国の漢字から生まれた日本文学と文化の現状、さらに、より大きな視野で捉える「アジア文学」の可能性をテーマとする講演の中で、古川さんは自らがかかわった創作と新しい文学的試みを紹介しました。その内容を今日から全3回に分けて紹介していきます。
1回目は、2011年に故郷・福島で起きた巨大地震と津波、そして、原発事故を原点とする、一連の試みです。
◆古川日出男氏の北京外大での講演内容
<アジア文学の可能性を考える>
2017年12月に、早稲田大学文学学術院の鳥羽耕史教授の発案・主催による「東アジアの文学、文化研究の国際化とナショナリズムの陥穽」が東京で開かれました。私は日本の作家として参加しましたが、同じくパネリストとして招かれていたのが、中国から参加した2014年の「フランツ・カフカ賞」受賞者である作家の閻連科さんと、北京外国語大学で日本近代文学を研究する秦剛教授でした。全員参加のパネルディスカッションにおいて、閻連科さんから「一つの国の閉ざされた文学ではなく、アジア文学という括りで考えてはどうか」という提案がありました。これには異論の声もありましたが、私は今回の訪中までの9か月間、ずっとこれを考えていました。そして、アジア文学という存在への予感を深めることができたのです。
<故郷を襲った大災害と僕自身の文学的実践>
僕は福島県の出身で、東京までの新幹線が通る中心駅のある町に生まれました。実家はシイタケ栽培をしていました。大学生になり福島を離れましたが、東日本大震災の時に、あまりにも多くの人が犠牲になり、被災地の人々が放射能に怯え続けるのを外から見て、動揺し、悲しみ、怖くなって……「なぜ福島の人たちがひどい目にあっているのに、自分は外にいて安全にテレビを見ていられるのか」と思い、それを記録に留めるために現地に行って、文章を書いたり本を作ったりしました。