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新中国対日戦犯裁判の意義 再評価訴える ――上海交通大・石田隆至副研究員に聞く(下)

CRIPublished: 2023-09-28 15:02:40
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法的根拠の策定には、幾重にも困難がありました。まず、建国まもない当時の中国は国内刑法が未公布(1980年公布)でした。また、新たな法や条例を作るのは「事後法による裁き」となり(「戦犯懲罰条例草案」が作成された痕跡はありますが)、結果的に断念しました。また、既存の国際法で裁くにしても、新中国はハーグ条約などの戦争犯罪に関する国際条約を承認していない段階にあったという事情がありました。

したがって、「決定」は①国際条約や慣習の受け入れを表明するものであると同時に、②新中国裁判における法的根拠にもなる「法」としての地位を持たせる必要がありました。そのため、立法機関である全人代での「決定」という形式で立法化されたと思われます。

実際に、法律の専門家らは次のように助言していました。

「全人代常務委員会で決定を通過させ、最高人民法院に特別軍事法廷を設置し、併せて公認された国際法規を適用することを明文化すべき。こうすることで、特別軍事法廷が適用する法律問題と管轄権問題は一度に簡単に解決できる。」

法的根拠の次に問題になったのが、その具体的な運用です。当時の新中国は、封建体制と決別し、人民を主人公とする国にふさわしい検察体制が構築されるなか、長い期間にわたって半植民地にされていた中国の実情を踏まえ、独自の犯罪観や証拠採用基準に則って犯罪調査が行われていました。

ただ、厳格な証拠運用によって、かえって重大な罪を免責しかねない局面に不安を覚えたり、他の戦犯裁判などの基準を参照することで、応報的な厳罰を導入するか否かと模索が続いていました。その積極的な克服方法として採用されたのが、“有罪だが処罰しない”という、法的であり政治的でもある独自の解決策でした。梅汝璈ら国際法や刑法の専門家が加わって法的な検討を重ねるなかで、政治的な突破口が見出されたという点が重要です。

■戦犯たちが平和の担い手になった歴史にもっと注目してほしい

1956年、起訴免除が言い渡され、涙を流す戦犯たち

――改めて振り返ってみて、「新中国裁判」の研究を通して、現在の中日間をより平和的な関係にしていく上で参考になると思った点は。

東京裁判など他の戦犯裁判の準備過程では、一部に、裁判によらず責任者を即決処刑するといった報復的措置が検討されていました。しかし、新中国による戦犯処理では、当初から復讐や処刑で済ませるという発想は見られませんでした。むしろ、冷戦の進行に左右されず日本との戦争状態を早期に終結させ、日本との平和的関係を作り出すことを目的として、対日戦犯裁判が準備されました。厳罰ではなく、戦犯の認罪、反省を目標としたのはそのためです。こうした平和外交の文脈の上で戦犯処理が行われていたことは、より強調する必要があると思います。

もちろん、大日本帝国の犯罪行為の重大性を考えれば、厳罰措置は被害国の権利でもあります。実際に、東京裁判や国民政府裁判などのBC級戦犯裁判では、5700名が裁かれ、900名あまりに死刑が科されました。しかし、罪状を否認し、釈放された後に保守反動に回帰していった重要戦犯も多く、侵略戦争の再発防止、平和の回復に寄与したとは言い難いところがあります。

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