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新中国対日戦犯裁判の意義 再評価訴える ――上海交通大・石田隆至副研究員に聞く(下)

CRIPublished: 2023-09-28 15:02:40
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新中国による対日戦犯裁判にフォーカスする学術書『新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践』(2022年12月、社会評論社)の著者代表である石田隆至氏のインタビューの続きです。

■個々の戦争犯罪のみならず、「構造としての戦争犯罪」も対象化

――さて、本書は中国国内で公開されている外交部档案などの関連史料に基づいて分析が行われていますが、第二次世界大戦後に他の国で行われた裁判と比較して、法的根拠の面でどのようなことが判明しましたか。

先に結論をいえば、新中国裁判は、基本的には先行の国際戦犯裁判が依拠した法的根拠(侵略に対する罪=A級、通例の戦争犯罪=B級、人道に対する罪=C級)の枠内です。それに加えて、国際法が対象化していなかった植民地支配をA級犯罪に含めたり、一部に反革命処罰条例(1951年施行)を適用するなどの独自性が見られます。

新中国で最初に戦犯が収容されたのが1950年7月末で、法的根拠をめぐって集中的に議論されたのは1955年秋以降でした。他方で、山西省検察院および山東省档案館所蔵の検察史料によると、遅くとも1951年半ばには、犯罪調査が開始されていたことが確認できます。また、1951年11月に作成された犯罪調査方針に関する文書では、A、B、C級の根拠に依拠することが明確に記されています。

この犯罪調査方針のなかで記されている次の一節は特に重要です。

「日本帝国主義および日本人戦犯あるいは漢奸個人が中国侵略中あるいは売国の犯罪の全過程の中でわが国および人民に与えたすべての不利益は、すべて犯罪行為に当たる。」

きわめて全面的な犯罪定義となっています。ただ、そのすべてを扱うわけにはいかないので、調査可能で、主要な犯罪に限定するとされています。つまり、実際に裁きの対象とした個人の戦争犯罪の向こう側には、もっと膨大で全面的な侵略の実態があり、本来はその次元から裁くべきだという問題意識が示されています。

これは、「行為としての戦争犯罪」の基底に、「構造としての戦争犯罪」があるという発想の表れです。

梅汝璈「個人日誌(抜粋録)」から

さらに、東京裁判に中国の代表判事として参加した法律家、梅汝璈の「個人日誌(抜粋録)」を確認すると、彼が東京裁判を終えて1949年12月に北京に到着した後、1951年7月には外交部に東京裁判の判決文を提供し、その翻訳にも協力していることが分かります。新中国は、東京裁判の法的根拠を早い段階から考慮に入れていたことが、ここからも確認できます。

しかし、新中国は東京裁判が用いたA 級、B 級、C 級の法的根拠をそのまま適用したわけではありません。その理由の一つは、国際戦犯裁判が裁くことのなかった植民地支配責任を、新中国裁判が裁こうとしたからです。植民地を有した欧米諸国が中心になって法整備が行われてきた戦時国際法(A級とC級犯罪を含む)では植民地支配を犯罪化していなかった点が、直接援用できなかった理由の一つだと考えられます。

山東省档案館の検察史料

――新中国裁判の根拠法は、全国人民代表大会常務委員会が1956年4月25日に発布した「目下拘留中の日本の中国侵略戦争中における戦争犯罪者の処理についての決定)」(以下、「決定」)でした。量刑も含めて、新中国が独自の解決策を見つけ出すために行った創意工夫について、史料からどのようなことが判明しましたか。

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