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長野のスキー関係者と振り返る北京冬季五輪と中日スキー交流

CRIPublished: 2022-03-01 19:18:00
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競技スポーツ分野だけではなく、長野県はこれまで大衆スポーツとしてのスキー分野でも中国と友好交流を続けてきました。

長野県教育委員会スポーツ課の赤羽康隆指導主事によりますと、長野県内では、1979年の中国代表のコーチング引き受けをきっかけに、長野県日中友好協会、長野県スキー連盟が主力となり、翌1980年に日中スキー交流実施委員会が設立。1981年から相互交流を開始。中国からは選手やコーチが日本へ研修しに、日本からは中国のスキー事情の視察訪問が始まり、現在も継続しています。

インタビューに答える長野県教育委員会スポーツ課の赤羽康隆指導主事

1983年に、長野県ではスキー板やストック、靴などの用具を中国に送る取り組みが始まり、長野市内の公園の一角に、スキー用具の収集場所を設けて、市民に協力を呼びかけてきました。長野県日中友好協会がまとめた資料によりますと、集まったスキー用具をクリーニングし、コンテナ車に積み込む作業は「毎年の風物詩」になり、2012年までにその数は13万セットになりました。これらの用具は、大衆スポーツとしてスキーが流行りだした中国で、当時、用具の不足を補うために活用されていました。

一方、北京の冬季オリンピックの招致成功を受け、習近平国家主席は「ウインタースポーツ人口を3億人に拡大」と目標を掲げました。それを背景に、中国全国のスキー場は800ヶ所以上に上り、スキー人口の増加で、長野を始め、日本各地のスキー場にも中国からのスキー客の姿が溢れています。

長野県と中国とのスキー交流も、いまでは国際大会の運営経験の交流などへとシフトしつつあります。アルペンスキーコーチの河野さんはオリンピックが終わった後、スキー学校の運営や冬季オリンピック施設の利活用における長野の経験を喜んで中国に分かち合いたいと、今後も交流の継続と拡大に希望を抱いています。

河野さんは今後のウインタースポーツの発展について、国を跨いだ連携の大事さを強く訴えています。

「今、アジアの冬季スポーツは欧州に追いつけ、追い越せという時代に来ていると思います。中国と日本はもちろん、アジアの選手が一丸となって、スキー大国に挑戦をするというのが、ウインタースポーツの世界的課題だと思っています。一つの国ではできないことなので、アジア各国の間でそのための絆をしっかりと結んでほしい」

2022年3月1日の野沢温泉村のゲレンデ

北京冬季五輪開催中、蘇翊鳴選手のメダル獲得を受け、中国外交部の華春瑩報道官は公式ツイッターで日本語で投稿し、佐藤コーチに感謝の意を表すと同時に次のメッセージを残しています。

「中国の雪上スポーツは佐藤康弘コーチのような方々に支えられて成長しました。描かれたシュプールの数だけ、心打つエピソードも生まれました。今後も2人に続く人々が現れ、両国に温もりと希望をもたらしてくれますように」

華春瑩報道官のツイッターのスクリーンショット

長野県と中国との42年にわたるスキー交流の歴史も紛れもなく華報道官が言う「心打つエピソード」の一つでしょう。中国のウインタースポーツは日本を含め、諸外国との交流の中で進歩し、また、中国からの貢献も自らを高める道のりだったと言えるでしょう。

この記事をお読みになってのご意見やご感想、または北京冬季オリンピックについての思いやメッセージをぜひお寄せください。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。

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