【日本語放送80周年~その時その人】原清志さん
李順然さんは、北京を訪れた原さんとは何回か会って話をしたことがあります。李さんによりますと、会うたびに原さんは落ち着いた日本語で、次のような言葉を繰り返していました。
「戦争でいちばん苦しみ、悲しむのはいつでも、どこでも民衆です。20世紀の中日戦争で、中国の民衆も、日本の民衆も苦しみました。あの苦しみ、あの悲しみが繰り返されるようなことがあってはなりません。そのためにも、矛を交えた歴史を忘れてはならない。もちろん、憎み合うためではなく、仲良くしていくためです。あの歴史から教訓を汲み取らなければなりません」
1995年12月14日、北京放送局を訪れた原清志さん
2000年5月29日、北京放送局を訪れた原清志さん
原清志さんが延安のヤオトンから反戦・平和の第一声を上げた1941年12月3日。この日は後に、中国人民国際放送事業開始の日として銘記されています。