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ピンポン外交から50年、名古屋で記念シンポジウム(下)~友好のバトンは受け継がれていく

CRIPublished: 2021-09-10 21:15:00
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後藤鉀二氏は惜しくも1972年1月に逝去しましたが、その後、息子の淳氏、そして、現在では孫の泰之氏も中国との卓球交流や中日友好事業に精力的に取り組んできました。奇しくも、ピンポン外交から50年となる今年、孫の泰之氏(愛知県卓球協会会長)は、愛知県日中友好協会会長に就任しました。

シンポジウムでは、泰之氏は祖父が逝去した後、名古屋を訪れた中国の友人が墓前に手を合わせ、「水を飲む時には、その井戸を掘った人のことを忘れるな」と話したエピソードを披露し、「祖父が井戸を掘った人の一人であるならば、父・後藤淳は水路を築いた人間の一人だったと思う」、「祖父や父の時代を経て、日中の未来を作るバトンが自身に託された」と愛知県日中友好協会の会長就任に寄せた思いを明かし、「日中友好の歩むべき未来への道を思い描くように」と参加者たちに呼び掛けました。

名古屋大学博士課程チン・シンさん

愛知工業大学学生谷渡亜美さん

会場では、両国の若者の姿もありました。名古屋大学に留学中のチン・シンさんは、「軽くて小さなピンポン玉が、これまで50年間にわたって中国と日本、そして世界との間の友好協力を促進してきた。今後もその力を果たし続けることを祈る。一人の力は小さいが、中日友好の小さな架け橋になれるよう今後も努力していく」と力強く話しました。

現在、愛知工業大学に在学中の谷渡亜美さんは岐阜県富田高校の出身。愛知県体育館には、「後藤杯名古屋オープン大会」で年に一回来ていました。この会場が「ピンポン外交」の原点であり、歴史的出来事の起きた場所だと知り、感無量だったと話し、「中国の選手と試合をして感じたことは、とてもフレンドリーで、楽しそうに試合をしていたことだった。言葉は通じなくても、卓球を通して仲を深めることができたと思う」とスポーツで結ばれた友情の絆を高く評価し、「今、自分は、そのような場所に関わっていることを誇りに思い、日中友好の意義を後輩に少しでも伝えていかなければ」としっかりとした言葉で思いを語りました。

「ピンポン外交」が導く未来の姿は、幾世代も積み重ねられて描かれていくことでしょう。今はその最中のようです。

8月26日、ピンポン外交50周年記念写真展を見学する劉暁軍中国駐名古屋総領事と大村秀章愛知県知事

【リンク】

ピンポン外交から50年、名古屋で記念シンポジウム

ピンポン外交から50年、今の時代にも重要な示唆=孔鉉佑大使

ピンポン外交から50年、名古屋で記念シンポジウム(上)~生き証人たちの声

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