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中国を生きる和僑の生き様に惹かれて~堀内弘司さんに聞く(上)

CRIPublished: 2019-12-17 23:31:00
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そうした思いを胸に、堀内さんはその後、2009年から2013年まで、3年余りをかけて、香港や中国大陸を生きる和僑たち約150人を対象に、ライフストーリー調査法で綿密な調査を始め、博士論文を仕上げます。「それだけ大勢の人にインタビューして論文にまとめられた、その元気は中国が与えてくれたものだ」と目を細めて振り返ります。

インタビューの1回目は、堀内さんが「和僑」と接した中で見えたという、日本社会と日本人の姿にフォーカスしてお話を伺います。なお、2回目は「和僑」と触れあう中で読めてきた中国社会にフォーカスします。放送は来年1月21日(火)を予定しています。

◆インタビューからの抜粋◆

ーー堀内さんの中国に関する経歴を聞かせてください。

1984年、大学4年生の社会学ゼミの研究活動で初めて上海・蘇州・無錫を訪れました。その時に「億万長者(万元戸」ばかりが住む江蘇省の華西村にも行きました。ですが、大学を卒業してIBMに入社後は米国の方ばかり向いていましたね。サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)という、いまのインターネット技術の特許の集積がされている会社にも勤めて、毎年何回かはアメリカに行くという社会人生活をしてきました。

ーー20年以上もサラリーマンを続けた後で、大学院に入り直したのは何故ですか?

45歳になる頃に、「90歳まで生きるとすると、ちょうど半分だ。もう一回、別の人生ができる」と考えて、会社を辞めて早稲田大学の大学院に行くことにしました。「ずっと日本の東側を見つめてきたから、これからは日本の西側を見つめたい」と考えたのです。折しも、ITバブルの象徴と言える、ベンチャー起業家の雄であった堀江さんが牢獄に入れられるという社会の流れにもなり、アメリカではエンロン事件やリーマンショックが起こって、「日本や米国は先進国なのだろうか。先進国は進化し続けると、やばい国になるのだろうか」という感覚がありました。それと同時に、活気あふれるにぎやかな隣の国に対して、どうやら私が知る1984年の中国とは違うようだと関心を持ったんです。

ーーそこで、大学院での勉強は中国と絡めて研究しようと思ったのですね。

はい。大学院に進学するにあたって研究テーマを考えているとき、紀伊國屋の経営学・国際ビジネス書の棚で『和僑』と書かれた本を見つけたんです。『和僑15人の成功者が語る実践アジア起業術』(渡辺賢一/2007年)と、『上海ジャパニーズ日本を飛び出した和僑24人』(須藤みか/2007年)ですね。

この人たちは何だろう。華僑には歴史的なイメージがあるが、このたくましい日本人の若者たちは何なのだろう。会って、話を聞いてみたい!という気持ちを持ったのです。普通の日本の若者なのか?それとも変わった人たちなのだろうか?

大学院の入学手続きをしてから、まずは上海に3週間程度の語学研修に行きました。それから半年後に香港と深センの和僑会の会合に行きました。みなさん経営者なので、20代でもしっかりとした方々というのが、和僑会に対するイメージでした。現地採用で働く若い日本人たちも、「いつかはビジネス・アイデアを考えて起業するぞ!」と、先輩起業家たちの話を熱心に聞いていたのです。

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