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日本人スタッフのつぶやき342~北京引きこもり指南②あくまでバーチャルな世界で暮らすその1

CRIPublished: 2017-09-14 09:35:00
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かなり前に書いた前稿では、通販生活の利便性に言及しました。

今回は、前回少々言及したこうしたバーチャルな社会の仕組みが出来た背景と、それを支えている技術を紹介してみたいと思います。もちろん、引きこもりを生むシステムに関する話です。一部は重複しますが、とりあえず歴史をおさらいしてみたいと思います。

さて、前世紀のことになりますが、中国における「モバイル」の概念や、高価な「携帯電話」の普及は見込まれておらず、日本のメーカーはトヨタや富士フイルムと同様に市場に出遅れる結果となりました。そこで一斉を風靡したのは、最初期にはエリクソン、その後には後に共々世界的な敗退という結果を迎えるノキアとモトローラ、他にもシーメンスや京セラ、ソニー、アルカテルなどが商品を提供しており、今とは違った意味で混戦状態にありました。OSもSymbianなどがせいぜいで、小さなディスプレイで頑張っていたものです。現在ではアップル以外にも華為や小米、魅族などの現地メーカーが大輪の花を咲かせていますが、その境目はやはりアップルによる怪物スマホ「iPhone」の登場が大きかったといえると思います。好奇心にあふれる中国の若者たちをはじめ、現在では多くの年齢層がまずスマホを選ぶようになっています(スマホの普及率は韓国がトップの88%、中国は74%、日本はなんと39%)。

中国の若者は視覚の刺激に弱い、というよりも、人間の好奇心は視覚が最も優先されるように出来ていますから、マーケティングなどでは五感を利用する中、中国市場に直感的に優れている中国のメーカーなどは、その特性を一番よく利用しているように感じます。光を伴い目に訴え、触るとすぐ反応してくれるスマホは、せっかちに成りがちな傾向を持つ中国の若者には非常に受けたわけです。そして、なによりも大は小を兼ねるな中国の消費者には、ディスプレイがでかくて明るいほどウケるという特徴もあります(出すのが早すぎたDellの5インチディスプレイの当時にしてはでかすぎた携帯「ストリーク」は敗退しましたが)。

そして何より、中国はインフラ整備が遅れていました。前回も書きましたが、特に西部では電話の敷設も不便で、電話を超える存在が技術と共に提供されると、それが異様なスピードで普及しました。基地局さえ建てれば、電話線の敷設が不要になるのですから、それは便利に感じたと思います。そして、それは初期にはポケベルの形で、少しお金の有る人から、最後は若者に普及しました。私も92年当時、ポケベルを使用していました。最初は数字だけ、その後「漢顕(漢字表示型)」と呼ばれる漢字表示型のポケベルが普及、そして、いつしかレンガのような携帯電話が一部の幹部や企業人に普及、そこから携帯電話は小型化の一途を辿り、デコード方式がアナログからデジタルに変換された1995年には、エリクソン製337やモトローラ製の携帯電話がまず登場、そしてこの20年で一気にスマホ盛りとなったわけです(かなり端折りますが)。せっかちな人々には、すぐに繋がることはとても魅力的だったのです。

どこにいても電話が繋がるという、この便利さに浴した中国の人々は、ほぼ全てといってもいい位モバイル生活に飛び込んできます。アップル製品は少々高めですが、それを買うために何か月分もの給料を貯めたり、ある若者は腎臓を売るという暴挙にも出ました。アップルのマーケティング戦略は見事に成功し、今では地下鉄に乗ると、周りが全員6sを使っていることもざらに成りました。もちろん、国産の安いスマホも普及しており、そのせいで都市部でのスマホ普及は90%を超えるようになっています。そして、日本もそうなりつつありますが、生活は全てスマホ一つで成り立つようになりつつあります。

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