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比較の視点から読み解く中国の民法典~JICA長期専門家・白出博之さんに聞く(上)

CRIPublished: 2021-03-16 12:21:00
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――そもそも「民法」は現代国家の法体系において、どのような位置づけですか。

白出まず、法律は大きくは、公法と私法という2つに大別されます。

公法とは、一般には、国家と国民の関係の規律および国家の規律を行う法を意味します。イメージ的に言えばタテの関係であり、具体的に言えば刑法、行政法の分野です。隋、唐王朝の時代に、日本から多くの留学生が派遣されて中国の律令制度を学びましたが、そこでいう律令というのはまさに刑法、行政法に相当するものでした。

これに対して、私法は、個人と個人の私的な生活関係を規律する法であり、イメージ的には対等な民と民の、ヨコの関係です。その代表がまさに民法であり、民法は私法の一般法と位置づけられ、近代市民法の重要な部分とされています。

――ところで、中国よりは一歩早く近代化の国造りを初めてきた日本では、民法がどのような歩みで制定されましたか。

白出日本における民法の歩みの要点を指摘すると、日本の現行民法は、財産法が1896年に、家族法が1898年に制定され、共に1898年から施行されたものです。

当時の日本政府、すなわち明治政府が民法典制定を必要とした理由ですが、欧米諸国との間で締結されていた不平等条約の撤廃を要求するための施策の一つとして、国内に統一的な私法規範を制定することが急務とされたものでした。

そこで明治政府は、パリ大学のボワソナード教授を招聘して、民法典の草案を起草しましたが、その内容はいわば「フランス民法典の日本版」でした。しかしながら、そのような自由主義的な思想は、特に家族法分野について当時の日本の国情に合致しないため、「民法出でて、忠孝滅ぶ」等と批判され、大論争が展開されました。このため、ボワソナード指導の下に編纂された1890年公布の民法典(旧民法と呼ばれます)は、施行されずに廃止され、上述の1898年の現行民法典(明治民法とも呼ばれます)ができあがったという経過です。

その後、第二次大戦後にできた日本国憲法に合致するように、1947年に家族法の部分については、家制度の廃止や夫婦平等原則の導入など根本的な改正が行われましたが、財産法に関して大改正は行われていませんでした。そして債権関係分野については、既に100年以上かけて日本の実務が形成されており、判例の形で蓄積されてきたルールを条文として明文化するなどの120年ぶりの全般的な見直し作業が行われた結果、2017年5月に民法の一部を改正する法律が成立し、2020年4月から施行されているところです。

――日本でも民法は公布された後、時代の変遷とともに改正が行われているという歴史がありますね。ところで、中国では67年前からの悲願であった民法典は、2020年の全人代年次会議で採択されましたが、このことが中国の法整備における意義について、白出さんはどう評価しますか。

白出まず中国の民法典編纂の歴史を振り返ると、「五」という数字と縁があることを、法工委民法室の黄薇主任がコメントしています。すなわち、第1に、中国ではこれまで1954年、1962年、1979年、2002年に民法典の起草作業が行われていましたが、残念ながら完成には至らず、今回の民法典編纂はまさに5回目の挑戦であったこと。第2に、編纂作業には2015年3月から2020年5月まで5年間の歳月を要したこと、第3に5月に採択・公布が行われたことです。

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