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戦後75周年特別企画~歌で平和と愛を伝えたい

CRIPublished: 2020-09-01 21:23:00
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写真:新華社

今から32年前の23歳の時、大学の卒業旅行で北京を旅した時、盧溝橋に行ってきました。これからは橋を見る時は、後悔の念で橋を見るのではなく、中日互いにウィズコロナを乗り越えて、アフターコロナの未来に続く、中日未来の懸け橋として盧溝橋を見ることができるように頑張りたいと思います。

★高知県四万十市・杉村和男さん

四万十川支流・後川の風景

私が幼少の頃には、戦争を実際に見た、聞いた人が、周囲に普通に居ました。叔父は既に亡くなっていますが、若い頃、出征しています。南京虐殺の話も直接聞きました。今年、90歳になる母が、中国残留孤児の話をしてくれたことがありました。「かつて、中国から見て日本は敵国。その敵国の子供を育ててくれて、中国の人は優しいことよね」と、語っていたのを覚えています。

★作詞家・大門高子さん

大門高子さん

この夏、コロナ感染の騒動の中で、国を超えて助け合う、命の大切さと同時に、多くの人が戦争の悲惨さと孤児を助けてくれた中国の人たちの大らかさを語りました。終戦生まれの私も、親が満州に連れていっていたら、死んでいるか、残留孤児になっていたかもしれません。引き揚げのことは日中の大事な歴史として、20年近く取材し、温めてきました。「紫金草物語」、「再生の大地」に続いて、中日関係の歴史を取り上げる三部作の最後に取り上げるべきテーマだと思い続けています。

合唱団員にも残留孤児の人がいて、一緒に歌っています。戦争が終わって75年の歴史の中で、今こそ受け継ぐ命の大切さを思う今日この頃です。

★中国残留孤児(東京在住)・波多野晶子さん

波多野晶子さん

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