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【日本語放送80周年~リスナーと共に歩む】(下)受け継がれていく思い

CRIPublished: 2021-12-09 15:36:00
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日本語放送から発足した中国共産党が率いる中国人民対外放送は2021年12月3日で80周年となりました。80年の歩みは、日本各地にいるリスナーとともに歩んできた旅路でもあります。日本各地から届いた80周年に向けたメッセージを抜粋してお伝えすると同時に、日本語放送(北京放送)の視聴者のみなさんと月日を超えたつながりにフォーカスします。

東京都・細谷正夫さん~世界平和がいつの時代でもBCLの原点

北京放送の聴取者の中には、BCLのファンもいれば、アマチュア無線の愛好家たちも大勢います。外国の放送局の番組を聞いて手紙のやり取りをしたり、遠方の知らない人から出された電波をキャッチして交信したり、受信カードを交換したりする。これらはいうまでもなく、平和の世だからできることです。だからこそ、「BCLとアマチュア無線の原点は世界平和だ」という声があります。

元大学職員の細谷正夫さんは、日本におけるBCLブーム発端の歴史について、「日本には、戦時中に大本営放送という一方的な発表を信じ込んだことで、大勢の国民を戦争協力者にした歴史がある。そのことへの反省を込めて、山田耕嗣氏(1940-2008)をはじめ、世界各国の放送を聞くことで多様な視点で情報を収集し、判断力を身に着けようと呼びかける人たちが現れた」と振り返りました。

自宅のラジオ部屋にいる細谷正夫さん

日本のBCLやアマチュア無線愛好家の中には、数ある外国との交流の中でも、隣国の中国とのやりとりに格別な思いを寄せる方が大勢います。

細谷さんは1970年代以降、大学受験、就職、子育てに追われる中、いったん聴取を中断した時期がありました。

「その時に、それまで世界各国の放送局から送っていただいた受信確認証(ベリカード)を廃棄してしまったが、なぜか北京放送からいただいたベリカードは、今なお何枚か手許に残っており、無意識のうちに、北京放送に対する、忘れ難い強い想いがあったのかも知れない」

妻は中国内蒙古生まれ。義父は戦前、中国内蒙古の工務店で就職が決まり、一家を連れて中国に移住し、ハイラールと満州里で暮らしていました。敗戦に伴って、日本に引き上げるまでの2~3か月間、現地の中国人の助けを得て命を長らえ、そのことに対し、義母が亡くなるまで、「何らかの形で恩返ししなくちゃだめだ、だめだ」と言い続けていたことが、細谷さん一家にとって家族共通の記憶となっています。

1990年代、細谷さんは約20年ぶりにBCLを再開。定年後の今は、中国、韓国を始め、世界20カ国・地域からの電波を毎日4~5時間かけて受信します。しかも、細谷流の聴き方として、「ながら族」ではなく、メモを取りながら同時録音をする。番組で興味深く感じた内容は取り出して、自身が運営するブログ「国際短波放送情報」で発信しています。

「海外からの短波放送を聴くことによって、リスナーはそれぞれの国の歴史や文化、普通の人々の生活や考え方を理解することができます。そういった“異文化”、“異なった文化”の相互理解を促進することが、ひいては、世界の平和に繋がっていくのだと考えています」

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