星野司さんに聞く②~松花湖スキー場星野コースの誕生秘話
――仕事して一番苦しかったことや、楽しかったことは何ですか?
設計は、「自分の足で現地を見る」ことを実践していました。山を3年間で、360回、延べ1,000km 歩きました。冬は最低気温がマイナス32度という日もありましたが、最初は経験がなくて、ペットボトルも凍ると知りませんでした。そんな日の山のお昼は、手袋を付けたままで、足ふみしながら固まったパンをかじり、凍ったペットボトルの氷をなめながら水分を取っていました。また、汗をかいてしまうとシャツが凍ってしまうので、山登りでできるだけ汗をかかないように工夫していました。そんな経験のない寒さの中での作業が、一番辛かったですね。でもどんどんと学習をしてきました(笑)。
2013年3月30日、開発前の大青山の山頂に登りおにぎりを食べる。この後スキー滑走
――それでも山を自分の足で見ることにこだわっていたのですね。
これは会社(注:株式会社プリンスホテル)の歴史、文化、伝統なのです。実際に現場をきちんと歩いて設計するのは私たちだけだと思います。そうすると、図面に無いものが随分と分かったりします。大きな岩があったり、カッコいい木があったりして、この木を残そう、この木を避けよう、とか。川があったり、沢があったり、小川が流れていたり、水の量が分かったり。それは図面には載っていません。最初のレイアウトは想像で描きますが、現地を歩いた上で変えていきます。少しずつ修正しながら。
――「手づくり」の作業なのですね。
ある日、フランスのコンサルティング会社の方と一緒に仕事をした時に、「日本人は山を歩いて設計をして、古典的ですね」と言われました。「これが当社の伝統です」と答え、一緒に山頂まで登りました。その日の夕方の会議で彼は「今日は日本人と一緒に仕事をして、自分の足で現場を見る姿勢に感銘を受けた。やはりGPS、GoogleEarth、CADだけに頼った設計ではお客さまの気持ちは理解できないのだと良く分かった。今後は日本人を見習って、自分の足で現場を見ようと思う」とオーナーに発言していました。それが嬉しくて、今でも忘れません。
あと、楽しかったことは、中国の方々と一緒に仕事をしたことですかね。まじめで素直な方々が多くて、異文化の中でのコミュニケーションが楽しかったですね。
2013年3月30日、「自分の足で山を歩く」を実践する様子。
この年は雪が多く自然雪が4月中旬まで残っていた
――チーム4人と中国の方々との共同作業を経て、松花湖スキー場はいつ開業したのですか?
2014年12月に開業しました。コンサルティングを始めたのが2011年11月でしたので、3年間ですね。現在ある31本のコースが全部できたのは、翌年の2015年12月のことでした。4人の経験と知恵を絞って、ノウハウを注いで、コンサルタントをやらせてもらいました。
――開業の日、皆さんはどのような心境でしたか。
もう、わが子を見るような気持ちで(笑)。「中国の地図に形を残した」と自分で思っていますので、夢とロマンがあって。一方で、お客さまの笑顔を見ただけで、それがもう励みになりましたね。仕事でも会議中でも普段の日常生活でも、その(お客さまの笑顔の)ことだけを考えて、一切妥協せずに設計したつもりです。
(中国側とは)色々とお互いに勉強しなければならないこともあって、私たちも真摯に受け止めて、そこで成長できたと思います。色んな方と接して、色んなスキー場の設計の仕方がありますので。自分たちの力だけではなく、皆で一緒に考えて、良いスキー場ができたと思います。
――松花湖スキー場には、星野さんの名前から命名された「星野コース」があるそうですね。
設計者の名前が付いた何々コースというゴルフ場をよく目にしますし、スキー場でも長野県の野沢温泉スキー場には外国人スキーヤーの名前が付いたコースがあります。なので、中国のスキー場に日本人の名前が付いたコースがあると友好につながるのかなと思いました。そのコース名を提案するにはそれなりの自信作でなければと判断して、C1コースを「星野コース」と名づけてもらいました。
星野コースは延べ1500メートルですが、完成させるまでに100キロほどを歩きました。もう目をつむっていても分かりますね。どんな木があって、どんな石があって、どんな地形で――、コースができたらどんな景色が見えるかということまで確認し、シミュレーションしながら、妥協は一切しないコース設計を行いました。
松花湖スキー場で合宿中の新潟県チームと