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ブルースにほれ込んだ中国人の若者<聖地巡礼の旅>~ミュージシャン・虎子さんに聞く(中)

CRIPublished: 2019-11-12 22:27:00
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聞き手:王小燕、梅田謙

2016年5月、ブルースのルーツを探す旅でメンフィスを訪れた虎子さん

今週も引き続き、ブルースにぞっこん惚れ込んだ虎子さんにお話を伺います。

先週は日本語、そしてブルースとの出会いを中心に、謎めいた虎子さんの肖像画を極荒いタッチで描いてみました。

子どもの時、祖父の島で育った虎子さんは大学で日本語を専攻したことをきっかけに、日本語/日本人の友達を介してブルースの世界に深くはまりこんでいきます。大学では、自己流の学習法で日本語能力試験1級に早々と合格した後、卒業することなく上海にある日本の大手商社に就職。8年間の商社マン人生で社会経験を積み、上司や仲間からも厚く信頼され、大きなプロジェクトも多くこなしていました。が、突然体調を崩し、人生について深く考えこむようになります。結論は、「商社マンを卒業して、これからの人生はブルースと共に歩む」ことでした。

進路で悩んだ時、虎子さんが思い出した相談相手になれる人がいました。その人とは、シカゴを拠点に20年以上活動していた伝説的なブルース・ギタリストの菊田俊介さんのことです。ヒーローとして崇めてきた存在ですが、知り合いというわけではありませんでした。とにかく、当時東京にいた菊田さん宛てに、「ぜひ上海へ演奏に来てほしい」というメールを出しました。当時の上海は「人口2000万人の大都会ですが、ブルースを聞いたことのある人は数百人程度に過ぎない」と言われているほど、ブルースはマイナーなジャンルでした。

そのお誘いのメールで菊田さんは本当に来てくれました。虎子さんは自力でコンサートツアーを企画。ツアーを通して菊田さんと親交を深め、人生の進路について相談に乗ってもらったところ、言われたアドバイスは、「好きならとことんまでやれ」でした。

2015年冬、28歳になる虎子さんは人生の新しいステージに向かって旅立ちます。上海で仕事を通して築いた人間関係に別れを告げ、音楽仲間がたくさんいる北京に拠点を移しました。その翌年、彼はどうしても行かなければならないという聖地巡礼の旅に向け準備を始めました。

ブルースマンの聖地であるシカゴで、6月に開かれる、大型ブルースフェスティバルをめざして、虎子さんは音楽仲間2人と共に、ブルースのルーツを探す旅に出たいと思っていました。レンタカーを借りて、約1か月半にわたる大旅行でした。行った先々で、三人はギター一つでジャムセッション(協調的即興演奏)に加わり、「今思い出しても夢のような毎日」でした。しかし、「ビザ申請から入国手続き、交通に至るまで、ハプニング連続の旅路でした」、と今でも苦笑いするような出来事も多かったようです。

2016年5月~6月、米国でブルースのルーツを探す旅をしている最中の「布鲁斯三兄弟」、

左から虎子さん、魏威さん、王錚さん、ミシシッピにて

ところで、虎子さんの日本語力はアメリカを旅行した時にもパワー全開でした。シカゴでは、その後の彼のブルース人生を大きく変えた大物ミュージシャンと出会えました。いや、正しくは会いに行って会えたのでした。そのミュージシャンとは、京都生まれで、シカゴを拠点に活躍し、のちに「シカゴブルースの殿堂」入りしたミュージシャンのアリヨこと有吉須美人さんのことでした。

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