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中国の伝統芸能に魅了された日本人~昆劇役者・山田晃三さんに聞く(下)

CRIPublished: 2019-10-23 01:40:00
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聞き手:王小燕

1991年から北方昆曲劇院の役者・戴祥麟さんに指導を仰ぎ、昆劇役者の道を目指してきた山田さん。これまでの約30年、昆劇を取り巻く環境に変化が起きたことを実感すると言います。2001年に、ユネスコから世界無形文化遺産に登録されたのを境目に、それまで公演も愛好者も少なかった昆劇はその後、「各大学にサークルができ、笛に合わせて合唱するのが聞こえてくるようになりました。

そうした変化を支えたのは、改革開放で少しずつ養われてきた経済力です。社会が豊かになるのにつれ、人々は暮らしに余裕ができ、伝統文化への関心も高まりました。ところで、こんな中、山田さん突然体調を崩して入院準備をしていた師匠から、突然重要なことを任されました。それは、「中国の子どもたちに昆劇の基本動作を教えてください」という依頼でした。

戴先生のところには、毎週土曜日に昆劇を習い小学生が集まってきますが、入院中の代役を外国人の山田さんに頼んだのでした。

「最初は本当にびっくりしました。そんなことは恐れ多くてできない、と。ですけど、師匠から『大丈夫、お前ならできる』と声をかけていただきまして、それで、恐れ多くもはじめました」と山田さんは振り返ります。

普段は厳しい言葉でしか話しかけてくれない先生ですが、「『ああ、信頼していただいているんだな』と嬉しかったですね。またそれ以上に、先生の期待に背くことはできないので、なんとしても代役としてしっかり教えないといけないと思って頑張りました」と山田さん。

「この外国人で大丈夫ですか」、最初は親御さんからは疑い深い目で見られましたが、模範動作をする時、「足がちゃんとおでこまで蹴りあがっていたら、もうそこに国籍は関係ありません。伝統芸能は本質的なところを教えるというのが難しいですが、基本的な動作は訓練して身につけるものですので、そこを認めていただけたのが嬉しかったですね」と顔を綻ばせました。

阪神淡路大震災があった1995年5月、神戸の南京町が企画した

震災復興イベントに出演した山田晃三さん

28年間の昆劇との付き合いを振り返り、心境の変化について山田さんはこう話します。

「昆劇を演じて、最初は舞台に立てる嬉しさを感じながらやってきました。けれども、今では勉強できること自体に喜びを感じています。脚本を何度も読んでいて、昆劇の歌詞の美しさを知る。動作の一つ一つの様式、動作、型にも意味があって、それに歌を乗せてどう演じていくか、もう自己満足の世界ですね(笑)。目先の利益などにとらわれず、自分の好きなことを地道に、静かに続けられる幸せを、昆劇に教えてもらったかなと思っています」

山田さんはこの秋、約30年になる北京での生活にピリオドを打ち、日本に本帰国しました。現在、大学で中国語や中国文化を教えながら、昆劇の普及活動を続けています。帰国後に中国で刊行された雑誌『芸術手冊』には、山田晃三さんの中国語による寄稿が掲載されていました。自分の昆劇人生を振り返り、締めくくりをこのように綴っています。

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