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【観察眼】歴史の全容を知ることが平和への第一歩

CRIPublished: 2024-08-28 15:13:56
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第二次世界大戦の終結から来年で80年となる。戦争の歴史をいかに全面的かつ客観的に認識し、正しく伝えていくかは、人類の恒久的平和に関わる重要な問題だ。

卓球日本代表の早田ひな選手は五輪開催地のパリから帰国後、メディアとの会見で、「鹿児島の特攻資料館に行きたい」と話し、世論を賑わせた。早田選手は記者会見で、「自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」と言い、平和のありがたみを噛みしめたいという気持ちを示している。しかし、平和を考えるにはまず歴史の全容を知ることから。とりわけ、複数の当事国がある歴史については、多様な視点でその全容に迫ってみる努力が求められる。

日本メディアの報道によると、早田選手の発言を受け、「知覧特攻平和記念館」の前には長蛇の列ができ、来場者の数は例年を明らかに上回っているという。一方、早田選手の発言は日本国内でもさまざまな議論の引き金になっている。社会学者、作家の古市憲寿氏はテレビ番組で、「特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのはちょっと違う」「むしろ特攻みたいなことをさせない社会にしていく必要があると思う」とコメント。しかし、彼の発言は多くの批判を招いた。「特攻は日本の抑止力なのだ」と公言し、「Tokkoは世界の公用語になり、欧米人に恐れられている」と誇らしげに語る論客すらいた。特攻隊員はまるで武器そのものであったような彼らの語りには、大海原に消えていった数千の若い命を惜しむ気持ちはひとかけらもなかった。

大まかな統計によれば、神風特攻隊は、約10カ月の間に約4000人の戦死者を出した。また、この特攻隊員らの戦死を前提とする爆装体当たり作戦により、連合国側の艦船も約400隻が撃沈か損傷し、7000人以上の兵士の死傷をもたらした。

しかし、月日の流れに伴い、血や肉が飛び出るような生々しさはどんどんと薄れ、特攻の歴史が日本では、どんどんと美化された形で文学や映画作品になっては、若者たちに親しまれるようになっている。共通した特徴は、一人ひとりの個人史がよりクローズアップされた形で描かれ、見る者は感情移入しやすい。賛美、謳歌が基調になり、戦争の全体像には目が向かない。そういった美化の風潮の浸透こそが、早田選手がごく自然に知覧に行ってみたいと発言させた背景であり、古市氏のコメントが批判を招いた背景でもあるだろう。そこに欠如しているのは、マクロ的な歴史への認識である。

まず、神風特攻隊は日本の軍国主義者が考え出した最後の手段であり、これは世界の戦争史において、決して人間として選ぶべきではない手段であるとみなされていることを認識すべきだ。事実、多くの特攻隊員たちは軍国主義の被害者であり、また共犯者にさせられた存在でもある。そういった事実は決して隠されたり美化されたりすることは許されない。

次に、日本はなぜかくも大規模な自殺作戦に踏み切ったのかを考えなければならない。誰が真の責任者だったか。「聖戦」とされていた「大東亜戦争」の本質とは何か。そういったところにまで視野を広げてこそ、戦争史における「神風特攻隊」の位置を初めて認識できよう。

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