日本語

【観察眼】どの国も 世界に一つだけの花

CRIPublished: 2024-03-21 14:07:08
Share
Share this with Close
Messenger Pinterest LinkedIn

今週、民主主義に関する話題が再び国際世論の焦点となった。3月18日から20日にかけて、米国の提唱したいわゆる「民主主義サミット」が韓国で開かれた。サミットの内容である「メニュー」が例年と代わり映えのしないものであっただけでなく、「開宴」のタイミングもかなり悪かった。主催国の韓国は、世界的に民主主義のリーダーシップを発揮しようと期待していたが、よりにもよって国内で爆発した深刻な医療危機に巻き込まれている。国民の医療問題でさえまともに解決できない国が、世界の民主主義をリードすることなどできるものか。さらに皮肉なことに、ブリンケン米国務長官が会場で技術の力によって民主主義の価値観を維持すると鼓吹していたとき、米連邦議会は中国企業の開発したあるショート動画アプリを赤裸々に強奪しようとしていた。道理で、ネットユーザーたちがたまらずに、今回のサミットを徹頭徹尾「狂った会議」、民主主義の名を借りたもう一つの茶番劇とやゆしているわけだ。

もちろん、米国が提唱する民主主義サミットに全く価値がないとは言えない。何しろ、3年続けて開催され、「ルールに基づく国際秩序」と「新冷戦の価値観」を奮って押し売りし、民主主義を盾に覇権を図ってきたのである。米国のいわゆる民主主義を「味」わい、自らの判断でこの偽りの宴から遠ざかる国はますます増えている。ある意味で、米国の民主主義サミットはまさに反面教師の役割を果たし、人々に民主主義のあり方を再認識させた。

そもそも、民主主義とは、各国の人々の権利であるべきで、少数の国の特許ではなく、特権や覇権でもない。いかなる国にも、ロングアームによって他国の事柄にあれこれ干渉したり、民主主義を政治化・道具化・武器化したり、民主の名を借りて分裂と対抗を煽り立て、自らの覇権を守る資格などはない。このようなやり方こそ、民主の精神に背くものだ。世界には、全く同じ花が二つとないように、どの国もそれぞれが唯一の花だ。民主主義のあり方は文化の多様性の影響を受け、それぞれの国の歴史文化、社会環境、基本的な国情に左右される。真の民主主義は、その国の土壌に根を下ろした花のように、色や咲き具合はさまざまだが、それぞれの歴史と文化、民族と伝統、社会環境から栄養分を吸収しながら成長していく。

一方、今週の20日、第3回「民主:全人類共通の価値」国際フォーラムが北京で開幕した。これについて、一部の日本メディアを含む西側メディアは「米国が提唱する民主主義サミットに対抗するための“PR”だ」と報じていた。これは余りにも偏狭で不公平な論調だ。

まず、中国の行った国際民主フォーラムは、グローバルな民主ガバナンスに関する対話会であり、一方的に「民主のルール」を制定するための場ではない。1950年代には、多くのアジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々がバンドン会議で世界の民主主義に参画しようと正義の声を上げた。現在の世界はますます多極化し、より多くの国々が円卓に座ってグローバル民主ガバナンスに参加することを望んでいる。また、グローバル時代の民主ガバナンスは、小サークルの集団による対抗ではなく、異なる理念の尊重・理解・包摂・協議を促す対話の場を確立する必要がある。

12全文 2 下一页

Share this story on

Messenger Pinterest LinkedIn