『中国メロディー』忘れられない恋愛
中華圏で最も影響力のある音楽賞の一つである「第30回台湾金曲奨」が、今年のノミネート曲を発表しました。その中に、香港の53歳の女性実力派シンガー、サンディ・ラムがアルバム「0」で選ばれ、音楽界での不動の地位を見せつけました。彼女には、有名な作詞家そして作曲家であるジョナサン・リーという大切なパートナーがいました。二人が出会い、愛し合い、別れるという恋の道のりで、多くのすばらしいラブソングを作り、忘れられない恋愛を綴りました。今回の中国メロディーは、これらのラブソングとともに、2人のミュージシャンの恋物語をお話しましょう。
私が誰か気にしないで
サンディ・ラムは、1990年代、抜群の歌唱力やセクシーなスタイル、魅力的な眼差し、そしてパーフェクトなダンスで大人気になり、ドレスや、メイク、振る舞いなどから、ファッションリーダーとしても中華圏で絶大な支持を得ました。53歳になった今も、ステージに立つと歌声もパフォーマンスも最高のものをみせてくれます。
香港の人気歌手だったサンディは1992年、26歳の時に台湾デビューを目指して、現地のレコード会社「ロックレコード」と契約しました。そして、当時、台湾のポップス界で最も有名だった作詞、作曲家のジョナサン・リーがプロデューサーを務めます。ジョナサン・リーは、サンディとの初めての出会いについて、「彼女は黙って隅に座り、とても静かだった。こんな彼女を見て、どんなに輝いても、やはり恋に憧れる女性なんだと思った」と言いました。そして、彼女のために「不必在乎我是誰(私がだれか気にしないで)」という歌を作りました。サンディはこの歌の歌詞を読んだ後、すごく驚いて、「ええ、どうして私の気持ちが分かったの」と感じたのです。
そんな心が通じ合うサンディとジョナサン・リーは、次第に心が近づき、恋人になりました。
心から愛してる
1995年、ジョナサン・リーがプロデューサーし、サンディが歌ったアルバム「LOVE . SANDY」と「夜太黒(暗い夜)」が台湾でヒットしました。そして、音楽の夢を求める中で知り合い、心を通わせた2人は恋に落ちてしまいます。しかし、すでに妻も子供もいたジョナサンは、不倫により大変なバッシングを受けました。悩みを抱えてしまったサンディは仕方なく故郷の香港を離れ、カナダへ移り住もうと決心しました。
一方、ジョナサンはサンディへの気持ちを「我是真的愛你(心から愛してる)」という歌にして、愛する想いを洗いざらい表現してしまいました。
サンディは一重まぶたの細い目で、中国の伝統的な美人ではありせんが、ジョナサンはかつて「声を聴くだけで惚れてしまう」と言いました。一流のミュージシャンであるジョナサンは数えきれないほどの声を耳にしましたが、サンディの独特な魅力に深く引き付けられて、彼女のために多くのラブソングを作りました。そして1997年、とうとう妻と離婚し、翌年にサンディと再婚したのです。