パーさんが語る「私の故郷・新疆」(前編)~「西側メディアの報道鵜呑みは禁物」
ご案内:王小燕、斉鵬
少年時代のパハルディンさん(左1)、祖母といとこたちとの写真
「これは私の家族です。私には弟がいます。同級生もみんな、きょうだいがいますね。新疆に住む少数民族には『一人っ子政策』が適用されたことがありません。ましてや、ウイグル族の女性が強制的に不妊手術をせられるなどという話は絶対にありえません。信じないでください」
オンラインチャットで写真を共有しながら、流暢な日本語でそう語るのは、東京在住のウイグル族の青年パハルディンさん(25歳)です。
仲間からは「パーさん」の愛称で呼ばれる彼は、日本にある「中日青年産学連合会」の運営メンバーの一人。同連合会は最近、新疆ウイグル自治区の問題がメディアで頻繁に取り上げられたことを背景に、日本華人教授会の後援を得て、オンライン講演会「在日のウイグル人青年が故郷の新疆について語る」を開催しました。
約1時間にわたって開催されたこの講演会には約200人が参加しました。パーさんは自身の体験に基づいて、新疆におけるウイグル族の教育、進学、学校での待遇や、ウイグル族の文化・言語・宗教の扱い、各民族間の交流、それから、14歳の夏に新疆で起こったテロ事件の記憶や、人情味あふれる故郷の人々の思い出など、5つのトピックスについて話してくれました。
パーさんは鉄道会社の社員の父を持ち、新疆の中心都市ウルムチに生まれ育ちました。子どもの頃は、敬虔なイスラム教徒の祖母に育てられ、祖母からはコーランをよく暗唱して聞かせていたと言います。中学までをウルムチで過ごした彼は、日本のアニメや地元テレビのウイグル語放送のバラエティ番組が大好きな少年でした。
幼少の時、祖母との写真「祖母の頭巾に注目してください」とパーさん
「最初に見た日本のアニメは『母を訪ねて三千里』、なんとウイグル語吹替えバージョンでした。自分も母親とは別れて暮らしていたので、大変心打たれました。また、映画『ハリーポッター』もウイグル語で見ました」と少年時代を振り返ります。
2010年、中学三年になった彼は、沿岸部各省の名門高校の新疆出身生徒向けの特別開設クラスに進学すべく、猛勉強をしていました。合格すれば学費も生活費もすべて免除されるという好条件のため、その年は募集枠6千人に対し、応募者3万人だったそうです。それでも、パーさんは合格率20%の難関に見事合格し、広東省の高校に配属されました。
高校卒業後は北京語言大学の日本語学科に進学し、北京で過ごしました。その間、日本への交換留学を経て、日本に残って就職しました。
「日本語学科だったので、周囲に日本で働きたいと考える友人は多いです。私が日本での体験をSNSでシェアすると、うらやましがられます。コロナが終息したら、自分も日本に行って就職したいと言う人は結構いますよ」
パーさんは自身のことだけでなく、ウイグル族の同年代の話や、新疆のインフラ整備の現状、友人の結婚式の模様なども話の流れで紹介してくれました。