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2021年新年特別企画<新春俳句&漢俳大会(下)>

CRIPublished: 2021-01-31 17:08:00
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――俳句と漢俳の文化は、ここ数年、静かながらも中国で育ち続けていると言えます。やはり何よりも大事なのは、発表や交流の場の提供だと思います。そういう意味では、「人民中国」誌が本当に重要な役割を果たしたと言えます。中でも、紙面でもSNSのWechatでも掲載されている「節気と花」の企画、たいへん優雅な企画だと思います。

王衆一2016年に、二十四節気は世界無形文化遺産リストに登録されました。中国で考案された二十四節気は、同じ東アジア隣国同士の日本、韓国にも共有され、我々東アジアの共通の文化遺産になっております。漢詩の詩人も、日本の俳人も、四季折々の景色や植物に自分の気持ちを託すことが多いです。そこで、二十四節気に関連する俳句を選んで、それを漢詩や漢俳に翻訳する形でコラムを始めたわけです。

「和して同ぜず」といった俳句と漢詩との趣の違いを味わっていただく効果があったせいか、このコラムはたくさんのファンがついてきて、今はすごい規模になっております。このコラムは最初からずっと劉先生の指導を受けてきただけでなく、劉先生が作った俳句もこのコラムの存在感を強めました。

俳句や漢俳の世界は奥が深くて、とても面白いと思います。皆さんも、是非“俳人が謳う二十四節気と花”というコラムに関わってください。皆さんの応援を期待しております。

「人民中国」ウィーチャット公式アカウントの俳句&漢俳シリーズ企画

――やはり文化は交流することで、新しい火花が出てくることが、今日、俳句と漢俳を通して、よく分かりました。

劉徳有今日中国における俳句の翻訳・紹介は、中日文化交流の発展と両国人民の相互理解の増進にとって、重要な意義があると思います。翻訳者が俳人のこころの世界にできるだけ近づき、両国人民の間に実際に存在する美意識上の差異をなくすよう努力することによって、俳句の中国語訳の形式美を保ち、しかも、その訳がまぎれもなく詩であるならば、この有意義な素晴らしい実践は、中国人の俳句に対する理解を深め、日本人のこころを知るうえで、はたまた俳句の中国訳の推進、漢俳という新しい詩体の発展にとって、有益であることは言うまでもないことです。

王衆一私にとって俳句と漢俳の世界を泳ぎ回るのは、お互いの文化や美を楽しむ上で、日本語と中国語の詩的表現を磨き上げることにも一役買っています。つまり言葉の勉強にも繋がります。

特に形にこだわらず、弦外の音をどうやって翻訳を通して出せるかという試みを通して、翻訳者としての絶頂感を体験できると思います。また、俳句と漢俳のお互いの交流と刺激という形は、大きく言えば中日の文化交流にも生かせるではないかと思います。

ある日本の全国紙の北京総局の記者は、劉先生の俳句と漢俳を絶賛し、「日中はカンパイできるか」という随筆を書いて、「中国人の場合、日本語を知らなければ俳句を咏めないが、漢字が分かる日本人なら容易に漢俳の世界に入れる。日中両首脑がいつか「カンパイ」するような日が来れば、それもまた一興だ」と期待しています。

【リンク】

2021年新年特別企画<新春俳句&漢俳大会(上)>

【リスナーさんからのお便りの抜粋】

2021年1月19日放送お便りありがとう♪

2021年1月26日放送お便りありがとう♪

★ゲンさん

漢俳はお正月らしい気持ちを味わわせてもらいました。劉徳有先生の変わらぬ元気なお声、説得力には圧倒されました。王衆一編集長さんとは黄金の歓俳メイトですね。

【吹っ飛ばせコロナウィルス春一番】

【合掌し武漢の友の無事祈る】

これは今まさに両国が分かち合える心情で、心に沁みました。私は俳句も短歌も詩もたしなまず、文学にも疎く恥ずかしいのですが、漢俳が日中の交流の中で誕生したものであることが、よく理解出来る皆さんのお話で、訳が分からないなりに温かい気持になりました。

餃子とか小豆粥が俳句に出てくると、俄然私でもできるかなーと、親しみがわきますが、「ねぶか」とか「柿若葉」となると、使ったことのない単語なので、とたんに、しおれたねぎの如く、クニャンとなってしまいます。日本人が知らないのに中国の方が知ってたり、日本人が知ってても中国の人が知らないってことはそこら中にありますよね。理解に苦しむことを互いに説明しあって、楽しく知ることこそ文化交流なのだと、改めて思いました。王小燕さんの俳句、<丑年にコロナ過ぎ去れと合掌>。まったく同感の句です。

★北海道石狩市上田知晴

劉徳有先生、王衆一先生のお話を拝聴してみて私もちょっと試してみたくなりましたので、イタズラにこんな句を読んでみました。元旦の出勤時の様子です。

【元旦初出勤初日之下初仕事除雪輝清々】

<続き>先日の新春俳句・漢俳大会番外編もアプリのKAN KANを使って楽しく拝聴させて頂きました。何だか、漢俳、面白いです。劉先生、王編集長のお話を拝聴していて、無性に中国の皆様と漢俳で楽しんで、その後は乾杯をしてみたくなりました。そこで又、もう一句読んでみましたので、もう1回だけ投稿させて頂きます。

【冠状病毒禍必勝固絆永遠下中日乾杯高】

★宮崎県ラジオネーム D.Dさん

俳句・漢俳大会"番外編"楽しく拝聴しました。王先生・劉先生とも句や文化への造詣の深さと同時に、温かいお人柄やユーモア、中日友好のフレンドリーな思いが伝わり、正月特番同様に楽しい内容でしたね。特番でも感じたのですが、例の季語"柿食えば〜"の柿は、確かに日本人には秋のイメージにしっくりくるんですよね。と言うのは宮崎県でも東京の郊外でも、日本では自宅とか近所の家の庭など、身近に柿の木がある環境が多く、柿の実が秋の風景に溶け込んでおり直ぐに秋を連想するんですね。

林檎も蜜柑も食卓ではポピュラーなのですが、林檎の木は長野県あたりから北の地方で、風景も林檎畑や林檎園に限定されるので(同様に蜜柑は南方の蜜柑畑に限定の風景)柿ほど身近な風景ではないんですね。

斉鵬さんからリスナーにも句をと言う事で、ありきたりで下手ながら一句作りました。

【北京よりラジオで届く餃子の便り】

★高知県四万十市杉村和男さん

劉徳有先生の俳句についての解説、季語についての理論、日本人より、お詳しいのではないかと頭の下がる思いがしました。その中で、日本人は四季に対して繊細な心が有るというようなお話がありました。そのことは文化芸術に対しては良いのですが、反面、他人の言うことや顔色を、やたら気にして、悩んだり、心を患う人がたくさん居ます。「生きていくためには、人の言うことを気にしない鈍感さも必要ね」と、大学の先生と話したことが有ります。

劉徳有先生の作品【吹っ飛ばせコロナウイルス春一番】【冬至かな味も格別水餃子】

王衆一先生の作品【合掌し武漢の友の無事祈る】は秀作ですね。情景が目に浮かぶようです。

文化交流することで、中日の相互理解を増進するというお考えは、全く同感です。妻の作った雪だるまに対して、一句です。添付写真撮影時の心境を、俳句にしています。

【雪だるま微笑浮かべ語りかけ】

森沢のような大森林では、自然の浄化作用によって、コロナウイルスをも退治しているのではないかと思い、表現してみました。

【雪の森コロナ倒す大自然】

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