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中国の伝統芸能に魅了された日本人~昆劇役者・山田晃三さんに聞く(中)

CRIPublished: 2019-10-16 01:31:00
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聞き手:王小燕

先週に引き続いて、中国の伝統劇「昆劇」と出会って28年になる山田晃三さんにお話を伺います。

1994年1月、昆劇の稽古を始めて約3年が経った山田さんは、北京で初舞台を迎えました。当時、5~6人の日本人留学生が集まって作った「日本昆劇の友」という団体が、中国の俳優さんたちの協力を得て北京の下町である前門で行なった公演でした。山田さんが師匠のお嬢さんと共に演じたのは、「双下山」という演目でした。寺生活に嫌気がさした15、6歳のお坊さんが寺から逃げていくという二人芝居でした。「緊張して、手に汗を握った」が、見に来てくれた中国のお客さんから暖かい励ましを受け、「これから、もっと練習してもっと上手になって、良い舞台を演じたいという気持ちが湧いた」と振り返ります。

2002年、昆劇「羅生門後」のチラシ

数々の舞台体験の中でも、格別な思いがあるステージは、中日国交正常化30周年に当たる2002年に、北方昆劇院が芥川龍之介の原作に基づいて改編した昆劇「羅生門」(中国語原題「羅生門後」)でした。山田さんにとって、プロの役者と混じって演じ、「初めて出演料をいただいて演じた」舞台でもありました。

「それまでは自信がなかった。何とか中国の方に混じって、やっていけるかなという自信がついたのが、あの時の公演だった」

一段と成長したその時の自分を、落ち着いた口調で山田さんは振り返りました。

その後、山田さんは北京だけではなく、故郷の神戸を始め、広島など日本各地で行なわれる昆劇の舞台に出演し、また、新昆劇など斬新な試みがいろいろ行なわれている台湾にも渡り、交流公演に参加したことがあります。

役柄については、最初は「生旦浄丑」の“丑”(道化役)から始めました。しかし、「丑」は台詞やしぐさが中心で、昆劇の一番大切な要素である歌が少ないところに欲求不満がありました。歌の中にこそ、細かい心理描写もあり、難しいところであり、やりがいを感じるところでもあるからです。その後、隈取の役にもチャレンジし、最後に行き着いたのは「武生」(立ち回りが中心の男性役)でした。

2000年12月、北京・湖広会館にて上演された「西遊記・借扇」の舞台を終え、

師匠の戴祥麟さん(右)、張玉雯さん(左)夫妻と記念撮影する山田さん(中央)。

「孫悟空を演じるため、動物園へお猿さんを良く見に行ったよ」と山田さんは振り返る

ところで、昆劇の世界には、「男怕夜奔、女怕思凡」という言い回しがあります。「夜奔」も「思凡」も昆劇の伝統的な演目ですが、男女それぞれにとって演じる中で一番難しいとされている劇でもあります。中でも、「夜奔」は『水滸伝』縁の物語で、無実の罪で流刑となった林冲が梁山泊を目指す道中、心の葛藤が描かれています。上演時間は35~40分もありますが、装置は何もなく、手に持つ道具すらない舞台で役者が一人で歌いながら舞うことで表現しなければなりません。武生の力量が試される舞台として知られています。山田さんはこれまで20年近く「夜奔」の練習を続けていました。ついに2016年12月に、北京でこの舞台の上演を成功させました。

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