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【北京冬季五輪街角だより】オリンピックグッズコレクター・張文全さん

CRIPublished: 2022-01-20 17:45:00
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◆オリンピックと共に歩む少年

張さんは1986年北京生まれ。今は大手ゼネコンの社員。彼が収集家になる道は、オリンピックが中国人にとって、遠い外国で起きていた出来事から、玄関先で起きた身近な出来事になったプロセスと歩みを共にしています。

1991年、北京は初めてオリンピック招致を始めましたが、惜しくも2票の差でシドニーに開催権を譲りました。その5年後の1998年、北京は2008年のオリンピック開催を目指して、2度目の招致を始めると世界に宣言しました。

オリンピック開催が悲願になった中、中国社会のオリンピックへの関心もかつてないほどに高まりました。そんな中で開かれた2000年のシドニー大会に、14歳の張文全少年はテレビで実況を観ながらスポーツに魅了され、おこづかいでマスコットや腕時計、カバン、ウェアなどを買いました。結果的に、それが張さんが収集家になる第一歩となりましたが、グッズは「実用的」なものばかりでした。

2001年7月、北京が2008年のオリンピック開催権を取得したニュースが伝わり、中国中が湧き立ちました。張少年も招致成功のニュースをテレビで観て、「すごいことになった」と興奮していました。その延長戦上に、2004年のアテネオリンピックが開催された時、張さんは「大きな発見があった」と振り返ります。

「スポーツ選手でなくても、オリンピックにはボランティアというかかわり方があることをその時に初めて知りました。それならば、北京でオリンピックが開かれる時には、僕もボランティアになって貢献したいと決心しました」

2008年の北京大会のボランティア募集には、98か国・地域から応募があり、最終的に7万4615人が採用されました。たくさんの試験を潜り抜け、張さんはその中の一人になりました。配属先は、野球競技の会場であった「五棵松体育館」でした。

2008年8月、五棵松体育館での記念撮影

「外は真夏でしたが、館内は寒いほどにクーラーが利いていて、温度差で私も仲間のみなさんも重い風邪を引いてしまいました。しかし、どの人も苦に思わずに、毎日楽しく動きまわっていました」

閉会後に組織委員会から授与された表彰状は、張さんの収蔵品の中でも、格別な思いがあるコレクションとなっています。

「その時の体験のおかげで、私は他人の立場に立って物事を考えられるようになり、困難があっても恐れずに、前向きな心構えで物事をとらえるような人間になれたと思います。また、世界各国の人とともに同じ目標に向かって頑張ることの楽しさも味わえました」とオリンピックに魅せられた理由を張さんは話しました。

2008年北京オリンピック組織委員会から授与された表彰状を手にした張さん

◆冬季五輪の招致成功で開けた新しい世界

北京は夏季オリンピックの閉幕から7年過ぎた2015年7月、再びオリンピックの開催地になりました。今度は冬季オリンピックです。招致成功のニュースが伝わり、もう社会人になった張さんの心は再び湧き立ちました。

「これで北京は夏季オリンピックと冬季オリンピックの両方を開催するダブルオリンピックの町になります。冬季オリンピックにもぜひ関わりたい、役に立ちたい」

張さんはこれが第一報を聞いた時の心情だったと振り返ります。

取り急ぎ着手したのは、コレクションの充実化でした。

「それまでは夏季オリンピックのことしか視野になかったのですが、招致成功のお陰で、冬季オリンピックのグッズへと幅を広げることができました」

そして、「今回もぜひボランティアになりたい」という熱い思いを温め始めました。しかし、コロナ禍で予想よりも少ない募集人数になり、すぐに応募はしたものの、願いは叶いませんでした。結果を受け、落胆する日々が続ていましたが、「そうだ。僕には自分なりの方法でオリンピックにかかわり、貢献できることがある」と開き直って奮起しました。

北京冬季五輪スローガンPRソングMTV「ともに未来へ」の出演シーン

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