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【日本語放送80周年~リスナーと共に歩む】(中)「BCL少年」の北京放送

CRIPublished: 2021-12-08 21:19:00
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日本語放送から発足した中国共産党が率いる中国人民対外放送は2021年12月3日で80周年となりました。80年の歩みは、日本各地にいるリスナーとともに歩んできた旅路でもあります。日本各地から届いた80周年に向けたメッセージを抜粋してお伝えすると同時に、日本語放送(北京放送)の視聴者のみなさんと月日を超えたつながりにフォーカスします。

月日が流れても健在する「BCL少年」の心

1970~80年代、日本では中高生の間に海外の日本語放送を聞くというBCL(「 Broadcasting Listening、または Listeners」の略)ブームが起こりました。おりしも、中国は1978年末から改革開放政策が始まり、大きな変化の幕開けの時期でもありました。そうしたことを背景に、北京放送と手紙のやり取りを始めた「BCL少年」が数多く現れました。彼らの中に、現在もラジオを聴き続けている方が多数います。

2019年5月上田さんが投稿した石狩市の桜の写真

子ども時代を大阪で過ごした上田知晴さん(57歳)は、小学校6年から北京放送を聴くようになり、「短波でも中波でも強力に入る」と驚いた印象が強く、「中国からの楽しい情報で、憩いと安らぎのひと時を過ごしてきた」と懐かしんでいます。現在は北海道在住ですが、忙しい仕事の合間をぬって休みの日の朝に時間のやりくりをして、番組を聞いて丁寧な受信報告と番組に対する感想を寄せてくれています。

東京都にお住まいの三輪徳尋さんは、小学生だった1970年代後半から北京放送を聞き始めました。「当初は難しい放送内容」でしたが、ほどなくして改革開放政策が進み、中学生になった三輪さんにとって、「親しめる番組が増え、毎日番組を聞くのが楽しみとなり、ラジオの前で放送が始まるのをワクワクしながら待っていた」と当時の情景をメールで懐かしく振り返りました。

「今では、スマートフォンやタブレットを使って、いつでもどこでもクリアな音で番組を楽しめるようになりましたが、北京から届く皆様の声は、今でも子供の頃と変わらず心を躍らせてくれます」

高知県四万十市にお住まいの杉村和男さん(59歳)と北京放送との出会いは、1978年、高校2年の時でした。

「手紙を送りますと、受信確認証、番組表のほか、切り絵、冊子(「中国画報」)なども別便で送られてきて、とても親切な放送局、国だなという印象を受けた」と振り返りました。今や植物撮影愛好家として活躍している杉村さん。地元・右山五月町を中心に、清流がきれいな四万十市周辺の四季折々の景色をときどき放送局にメールで分かち合い、交流を続けています。

2020年夏、日本語放送の「コロナ禍の戦後75周年、私が今思っていること」の企画に対し、杉村さんは幼少の頃に、周囲にいた戦争体験者から直接聞いた話や、母親から「かつて、中国から見て日本は敵国。その敵国の子供を育ててくれて、中国の人は優しいことよね」と中国残留孤児の話を聞いた時の思い出を投稿し、平和の大事さを訴えました。

「80周年を通過点として、90年、100年、200年、300年と、貴局の日本語放送が続き、発展されることを心から祈っております。私も微力では有りますが、中日友好が未来永劫続くように、活動したいと思います」

杉村さんの力強いメッセージから、在りし日の「BCL少年」たちの心意気が伝わります。

2021年1月、杉村さんから新年特番に寄せられた写真と自作の俳句

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