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コロナと戦う中国をありのままに伝えたい~ドキュメンタリー制作者竹内亮さんに聞く

CRIPublished: 2020-05-12 21:15:00
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聞き手:星和明、王小燕

3月2日は日本国内では新型コロナウイルスの感染者が232人、死亡者7人となった日でした。その日、Yahoo!JAPANのトップページに中国の感染対策の現状を紹介した10分ほどのショートフィルムが登場し、話題を呼びました。「緊急ルポ新規感染者ゼロの街新型コロナ封じ込め徹底する中国・南京を歩く」と題したこのドキュメンタリーは、7年前から南京を拠点に自らが経営する会社「和之夢」を率いて、精力的に映像制作に取り組んでいる竹内亮さん(42歳)が手がけたものです。

中国で感染が拡大した後、竹内さんは中国国内向けのドキュメンタリー番組を10本余り制作しました。そして、それとは別に「新規感染者ゼロの街」と題した番組2本を日本の視聴者に向けて発信しました。

◆緊迫性を日本に伝えたい

自らがリポーター役として出演し、自身と家族が体験した自宅隔離生活、社区(コミュニティ)やオフィスビル、入国者の集中隔離施設などの管理策やタクシー運転手など、そこで生活する一般市民の目線で紹介し、人口850万人の街・南京が新規感染者ゼロを実現できた舞台裏に迫りました。第1弾は撮影から完成までわずか3日という急ピッチの制作でした。

「緊急ルポ新規感染者ゼロの街」のスクリーンキャプチャ

「2月初め、日本でも感染者が出ているのに、渋谷で若者にインタビューしたらマスクもしないで、『自分たちは若いから免疫力がある』と答える人が多くてびっくりした。このウイルスは恐ろしいもので、決して甘く見てはならないということを伝えたかった」と制作に取り掛かったきっかけを振り返りました。

日本人の目に映った中国の感染対策という視点を生かしたこの映像は、中国国内でも多くの人が目にし、大きな反響を呼びました。「外出自粛で外の様子が分からなかったので、映像を見てずいぶん分かったこともある」という感想や、中国の紹介映像が日本で話題となった現象に関心を寄せ、「日本の皆さんはぜひこの映像を通じて、ウイルス対策を重視するようになってほしい」と日本のことを気に掛ける人も多かったと振り返りました。

続いて制作した第2弾では、隔離ホテル、スーパー、感染症専門病院など最前線で働いていた人に話を聞いています。わずか1カ月ですが、竹内さんは「日本側のテンションに変化が見られた」と語りました。

「第1弾の時は、遠いところの出来事のように思っていたようで、日本メディアの取材では『監視社会の中国だからできたことだよね』という誘導尋問が多かった。しかし、第2弾の時は『どうすれば良いのか』という質問に集中し、だいぶ状況が切羽詰まっていることが伝わった」と竹内さんは日本の変化を感じました。

◆「パンダの恩返し」に込められた日中共通の思い

「母国のために何かをしたい」

ひしひしと伝わる日本国内の状況に、竹内さんは焦り始めました。中国在住の日本人の仲間たちに聞いてみると、同じ思いでいる人が大勢いることに気づきました。そこで発足したのが「鶴の恩返し」ならぬの「パンダの恩返し」プロジェクト。日本で品薄になっているマスクを中国から届けるという活動です。

活動は3月半ばから始まりました。折しも、ちょうどその時、竹内さんの会社の所在地である南京市秦淮区政府から、「何か困っていることがあれば言ってください」と声がかかりました。

「新規感染者ゼロの街」の主なロケ地はこの秦淮区です。「ドキュメンタリーがバズっている」ことは区の関係者も認知していて、気にかけてくれているからこその言葉でした。

関係者に「パンダの恩返し」の活動開始の旨を説明すると、竹内さんたちを驚かせたことにすぐさまマスクが届き、その数は5万枚にも達しました。そして、「これまでに日本からたくさんの支援が届いたことへのお礼でもある」というメッセージもありました。

南京市秦淮区政府から寄付された5万枚のマスク

「当時、中国ではマスクが買えるようになったと言っても、まだ値段が高かった。そんな中からドンと5万枚も寄付してくれたので、とても嬉しかった」と竹内さんは振り返ります。

当初は中国在住の日本人を中心にして活動を始めていましたが、いつの間にか趣旨に賛同する中国人も増えていきました。結果的に延べ約800人から義援金が集まり、そのお金を使って7万枚のマスクを調達し、東京、大阪、北海道、埼玉、愛知、千葉、神奈川など日本の自治体に贈ることができました。

「パンダの恩返し」で日本へ発送したマスク

記者が取材した5月7日は、最後に発送した1万枚が神奈川県に届きました。「新型コロナで仕事もままならず経済事情が大変な中、みんなからたくさんの義援金をいただき、お陰で無事やり遂げることができた」と電話の向こうで、ほっとした竹内さんの声が聞こえました。

寄付してくれた中国人のメッセージにも感動の文言がありました。

「日本へのお礼です」「日本は第二の故郷で、思い入れが深い」などなど…

南京市の一つの区だけではなく、南京市と姉妹都市を結ぶ名古屋市との間でもマスクの相互支援があり、ほかにもこのような支援の話がたくさんありました。両国の間で様々な形で助け合が行われていたことについて、「ここ3、4年、地方政府レベルの交流が活発になり、両国関係の改善がこの身で体験でき、個人同士のつながりもずいぶん増えている。こうした一連の流れの中で自然に起きた動きのように思う」と現場で実感した思いを明かしました。

◆「感染者ゼロの街」、最終回は武漢編にしたい

竹内さんは南京に定住する前は、日本で映像制作の仕事をしていました。「テレビ番組で中国関連の報道はネガティブなほど、視聴率が取れる」ということに疑問を感じ、ありのままの中国を伝えたいと考え、7年前に妻の実家・南京に一家で移住することを決意しました。

取材活動中の竹内亮さん

「2010年に中国のGDPは日本を越した。日本で中国のネガティブな報道が増えたのはそれ以降のことだと思う。報道の姿勢もそうだが、それ以上にそうした内容を求める視聴者の姿勢に問題があると感じた」と日本の現状を憂えながら躊躇なく切り込みました。

大きな反響を呼んだ「新規感染者ゼロの街」に対して、日本から届く感想の9割以上は好意的な評価でしたが、中には「セットで撮影しただろう」という書き込みも目についたと言います。しかし、インタビューでは吹き出しそうな口調でこれを紹介した竹内さんの姿勢からは、逆にそのタフさが伝わったようにも思いました。

今は日常の撮影計画も行いながらも、近いうちにぜひ撮影しに行きたい都市があると言います。

「『新規感染者ゼロの街』の最終回は武漢編にしたいと思っている。いまだに、中国政府の発表を信じずに、武漢で毎日たくさんの人が死んでいると思う人が世界中にいるようだが、武漢に行って、実際に見てきたことを伝えたい」と意気込みを語ってくれました。

武漢は竹内さんが、以前にロケで4~5回も訪問したことがある街です。人気ドキュメンタリーシリーズ「私がここに住む理由」の中で、定年退職後に福岡から武漢に来て、市内の飲食街でカレー屋を経営する島田孝治さんに密着取材しました。

2017年配信の「私がここに住む理由~島田さんの頂尾カレー」のスクリーンキャプチャ

武漢在住の島田さん、営業再開した店で店員さんと記念撮影

「島爺爺(島おじいちゃん)」として知られている島田さんは、競争相手の店に出向いて、無料でおいしいカレーの作り方を伝授するという風変わりな経営者で、涙もろいところもあり、視聴者から大変好評を博した話でもあります。その「島爺爺」は、武漢で感染爆発が起きた後、帰国を選ばず家族同様の付き合いがある中国人店長の家で、三世代の「おじいちゃん」として一緒に三カ月を過ごしました。現在、連絡をずと取り合っている島田さんからは、「カレー屋はすでに営業を再開した」と連絡が入ったそうです。

「武漢では誘導尋問をせずに、とにかく、ありのままに見てきたことを記録したい。島田さんにも、もちろん会いに行きたい」

中国からリアルを発信する竹内さんの歩みは、今日も止まることはありません。

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この番組をお聞きになってのご意見やご感想、新型コロナウイルスとの戦いに寄せる思いなどをぜひお聞かせください。Eメールはnihao2180@cri.com.cnまで、お手紙は【郵便番号100040中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】もしくは【〒152-8691東京都目黒郵便局私書箱78号中国国際放送局東京支局】までにお願いします。

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