マスクに思いを寄せて(下)~徐舒さん:日本に送るマスクは天国の母とのつながり
花を愛でる徐舒さん
先週の番組は「マスクに思いを寄せて」と題して、日本の中国語会議通訳の草分けたる存在である神崎多実子さんのエッセーとインタビューをお送りしました。今週は、神崎さんにマスクを送った北京在住の徐舒さんの思いをお送りします。
徐さんは神崎さんの中学の担任教師である張先生のお嬢さんです。北京在住で、大学教師を経てファッションデザイナーとして活躍。定年退職後、野生動物の撮影が好きになり、北海道やアフリカなど世界各地で撮影旅行を続けてきました。また、乳がんの手術を受けたことがきっかけで、現在は北京の病院で終末期看護、ターミナルケアのボランティア活動も続けています。
徐さんにはお嬢さんが一人いて、今は東京でジュエリーデザイナーの仕事をしています。今年の3月以降、新型コロナウイルスの感染が日本でも広がり、徐さんは旧知の神崎多実子さんや日本にいる娘に「必要な方にも届けるように」とマスクを送りました。
新型コロナウイルスの感染が始まった後、最初は日本から中国へ、その後、中国から日本に支援物資が送られるようになりました。この中には、政府間、地方間、産業界同士のマクロの視点でのつながりもあれば、本日ご紹介したような、個人と個人のミクロ的な強い絆もありました。どちらも近き隣人であり、または人によっては、親戚や家族のような両国関係のありのままの姿ではないかと思います。以下は徐さんへのインタビューに基づいてリライトしたエッセーです。
マスクに思いを寄せて
~徐舒さん:日本に送るマスクは天国の母とのつながり
話は新中国の成立から間もない東北部の長春に遡ります。1951年、師範学校を卒業したばかりの母・張孟君はこの町にある「東北師範大学附属中学」の数学の教師になりました。
1979年、神崎多實子さんと張先生との再会
母が初めて受け持ったクラスには、日本人の生徒3人が編入されました。1953年まで、新中国の建設を支援するために留用された日本人技術者たちの子弟です。その中の一人が、今も親交を続けている神崎多実子さんです。私はいつも親しみを込めて、「多実子おばさん」と呼んでいます。
2015年夏、張先生を囲んでの集い、右1が神崎さん、右2が張先生、左1が徐舒さん