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最高のスキー場を中国に~星野司さんに聞くその①

CRIPublished: 2020-01-14 19:26:00
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~人生初の中国吉林・大青山に立つ~

聞き手:王小燕、梅田謙

左から王小燕アナ、星野司さん、梅田謙アナ

冬は銀世界に変わる吉林省吉林市。郊外の松花湖のほとりにある大青山にスキー場ができたのは1962年のことでした。その後1980年代には、全国の青少年スキー大会がここで開かれたこともあります。しかし中国でスキーと言えば、長い間ひと握りの東北出身の選手に限られたスポーツでした。それがようやく市民に普及するのは21世紀に入ってからです

現在の松花湖スキー場は31コース、計100キロ以上を持つ、中国有数のスキー場として知られています。しかし、星野さんが初めて訪れた2011年時点では、麓にクロスカントリースキーの練習をする若者がいくらかいる他は、中腹部に荒れた2本のゲレンデがうっすら見られる程度の山でした。

ーー雪国で生まれ育ちスキー一筋だった星野さんですが、初めて中国に来たのはいつですか。

2011年4月6日でした。会社(株式会社プリンスホテル)からの派遣で、吉林省吉林市への出張でした。到着の翌日に今の松花湖スキー場である大青山の山頂まで登りましたが、その日は天候が悪く、山の中腹から濃霧により視界は20メートル程度で、足元しか見えませんでした。

ですが、その夜に山の地形図を提供してもらってコースを描き始めたら、不思議とスキー場のイメージが湧いて、朝方までにはコースレイアウトが完成しました。それが、実際に開業を迎えたスキー場のコースのうち、約6割のコースになっています。それほど素晴らしい山で、ここに作れば中国NO.1のスキー場になると、当時から思いました。

ーー中国に来る前も、スキー場の設計開発をしていたのですか。

当社はホテル事業、スキー事業、ゴルフ事業を行っていて、スキー場は自社で設計し運営管理しています。新潟県の苗場スキー場で勤務していた頃に、数カ所のスキー場の設計にチャレンジしたことはありますが、形になったのはここ中国・吉林省の松花湖スキー場が初めてでした。

日本のスキー人口は1998年の長野オリンピックをピークに、減少の一途を辿っていました。そういうわけで、コースの整備やリニューアルの機会はあっても新規に建設するというニーズはなく、私にとってもチームの皆にとっても松花湖スキー場は初めての体験でした。

松花湖をバックに笑顔を綻ばす星野チーム

ーーどのような思いで、松花湖スキー場の設計に取り組んだのですか?

中日友好の懸け橋の一本の釘になれればと思いました。本格的に設計を始めた2011年12月には、私を含む4人が派遣され、チームで考えた設計コンセプトは「中国のスキー人口底辺拡大に寄与するスキー場!」「地元の地域社会をリードするスキー場!」「日本の子どもたちにも滑ってもらいたい!」です。そして、この3本柱を基に、設計キャッチコピーを「お客さまの笑顔」と決めました。

設計期間は、山に入っている時も、図面を描いている時も、会議中でも、常に「お客さまの笑顔」を思いながらコンサルティングしました。その強い思いがあったからやり遂げられたと思います。

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