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ヴァイオリニスト・盛中国の生涯~妻・ピアニスト瀬田裕子さんに聞く(1)

CRIPublished: 2019-02-12 18:12:00
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聞き手:王小燕、梅田謙

昨秋、惜しまれながら逝去した、中国を代表するヴァイオリニスト・盛中国さん(1941‐2018)の生涯について、奥様であるピアニストの瀬田裕子さんに伺います。お二人は、音楽を架け橋に中日の友好増進に取り組んで来られたゴールデンコンビ、おしどり夫婦としても知られています。

今回は、故郷・新潟県三条市で、子どもの時から盛中国さんと瀬田裕子さんのコンサートに足を運んでいたという、CRI日本人スタッフの梅田謙も聞き手に加わりました。三条市は瀬田さんの母親の実家であるため、縁あってこれまで20年あまりにわたって、毎年恒例行事のようにお二人のコンサートが開催されてきました。

シリーズインタビュー1回目の今日は、盛中国さんの生まれた家庭、名づけの由来、戦乱の中で過ごした子ども時代に、モスクワ留学と「下放」された青春時代にフォーカスしてお送りします。

防空壕の中にまでヴァイオリンを持ち込んで練習を続けていたという父・盛雪さん。その教え子たちの指導を受けた音楽家が、今も全国各地にいます。そして自身も、ソプラノ歌手の妻と共に11人の子どものうち9人をヴァイオリニストに育て上げました。

その長男である盛中国さんは、ソ連への留学中に「ソ連に残って、人類のために、世界を舞台に活躍してほしい」という巨匠たちからの誘いを断り、自分は「祖国に帰って音楽を奏でるのだ」と決断して帰国。後に、文革の嵐の中では、どんな重労働の後でもヴァイオリンの練習だけは欠かさなかったと言います。

激動の中でも苦しみを見せることなく、誰に対しても穏やかで、いつも音楽と共にあった盛中国さんの生涯。32年間を共に歩んできた、「公私にわたるパートナー」の瀬田さんが振り返ります。

番組内では、盛中国さんと瀬田裕子さんの演奏による、郭祖栄「金色の秋」、チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35」、馬思聡「思郷曲」、フリッツ・クライスラー「美しきロマスリン」、陳鋼・何占豪「梁山伯と祝英台」などを、瀬田さんのご提供の音源からお届けします。ぜひお聴きください。

この番組をお聞きになってのご意見やご感想をぜひお聞かせください。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】もしくは【〒152-8691東京都目黒郵便局私書箱78号中国国際放送局東京支局】までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。

◆お便り抜粋:

<愛知県・ゲンさん>

瀬田裕子さんのお話は心に深く沁みました。盛中国さんが子供の頃、お父さんが帰宅する何時までに練習しておきなさいと言われて、練習が未完成だったので、背伸びして時計の針を逆にしたところにお父さんが帰ってこられたというエピソード、熱いものがこみ上げましたし、文革の頃、小川の水を汲んできて小さい魚を泳がせて飾ったり、壁に絵を切り貼りしたり、人間である自分を維持する努力をされた姿には、今の時代の私も学ばせていただきました。

「美を愛する民族には希望がある」。まさに芸術家の「魂」のお話だと思いました。来週の続きのお話歩を楽しみにしています。

<新潟県・三条市民>

私たち三条市民にとって、年に一回開催される盛中国さんと瀬田裕子さんのコンサートは待ち遠しい年中行事の一つでした。夏が終わり秋風が吹くころ、「そろそろコンサートだね」とみんなで話し合ったものです。田舎町にありながら一流の演奏を聴けることは、この上もなく幸せなことでしたが、お二人のウイットに富んだお喋りをお聞きできることも又楽しみの一つでした。

思い返せば、音響の悪い会場、一流とは言えないピアノ、クラシック音楽とは無縁の聴衆、よく文句もおっしゃらず毎年通って来てくださったものだと感心いたします。そのコンサートも、もう開催されることがないと思うと、しみじみと寂しさがこみ上げてきます。

今日はラジオを通して裕子さんのお声が聞けて嬉しかったです。どうぞ、これからもお元気でご活躍ください。そして、たまには三条に帰ってきてくださいね!

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