「香港の娘」アニタ•ムイ
11月12日、香港の有名女性シンガー、アニタ•ムイの死から18年を記念して制作された同名映画「アニタ•ムイ」が公開されました。今のところ、このかつての香港芸能界のスーパースターを描いた伝記映画の興行は非常に好調で、1990年代の香港の歌姫への愛着がうかがえます。
多くの香港人の心の中で、アニタ•ムイは香港に与えられた贈り物のような存在です。彼女のまろやかな歌声、香港映画史に残る定番の役柄、公益に熱心な人柄は多くの人を感動させました。2003年、40歳だったアニタ•ムイは、癌により、愛するファンと永遠に別れましたが、彼女が歌った名曲は依然としてファンの心に刻まれています。今回の中国メロディ―では、1990年代の香港の歌姫・アニタ•ムイと、彼女が歌った名曲をご紹介しましょう。
社会の底辺からスーパースターまでのし上がった短い人生
1963年、香港の貧しい家庭に生まれたアニタ•ムイは、幼い時に父を亡くしていて、母親は4人の子供を育てました。苦難の中で育ったアニタ・ムイは、幼い頃から様々な風俗店で歌を歌って生計を立て、世情をなめ尽くしました。
1982年、19歳のアニタ・ムイは「新人歌手コンクール」に出場して一挙優勝し、その後アルバムをリリースして好評を博しました。1985年から1986年、彼女はソロライブを15回連続で開催し、香港歌手として初のソロライブ記録を更新しました。
1984年、21歳だったアニタ・ムイは香港のあるパーティーで日本人歌手・近藤真彦と出会い、恋に落ちました。しかし、近藤真彦は中森明菜と長年付き合っていたため、結局別れてしまいす。その後、彼女は数人のボーイフレンドと交際するも、結婚には至りませんでした。
2003年、人気絶頂期にあったアニタ・ムイは子宮頸癌を患い、40歳の若さで急逝します。社会の底辺から芸能界のスーパースターまでのし上がった彼女の短い人生に、多くのファンは悲みに暮れました。
ショービジネス界で尊敬される「姉御」
1990年代、アニタ・ムイは豪快かつ男気のある性格で、ショービジネス界で尊敬される「姉御」となりました。
2002年、アニタ・ムイはインタビュー番組で、「私は芸能界を20年間渡り歩いてきた。一言で言えば『友情の歳月』だ」と語ったことがあります。幼い頃から家族の温もりをあまり得たことがなく、恋の道も不遇だったからでしょうか。アニタ・ムイは一生友を大切にし、友のために献身的に尽くしてきました。彼女が芸能界で20年以上奮闘してきた中で、最も多く勝ち取ったのは名利ではなく友情であり、これこそが彼女の一生の本当の財産だと言われています。
音楽や舞台と結婚した歌姫
2003年4月30日、アニタ・ムイは自分が癌で余命いくばくもないことを知ります。それでも、当時SARSウイルスと闘っていた人々を励まし、ファンに良い思い出を残したいという想いから、香港でサヨナラコンサートを行いました。
コンサートでは、真っ白で華やかなウェディングドレスに身をまとい、ステージの中央に立ったアニタ・ムイがファンに生涯をかけた思いを語っていました。この時、彼女は重病を患ってはいましたが、舞台の上で涙を流すこともなく、運命の不公平を訴えることもなく、むしろその心は穏やかでおおらかでした。
「私はただの普通の女性だった。愛にあこがれ、家族にあこがれていたが、それを手に入れることはできなかった。そして運命ももう私にチャンスを与えてくれない。でも私はこの人生で、音楽と舞台と結婚したのだ」と彼女は語っています。
最後のサヨナラソング「夕日の歌」の曲が流れると、病気のため、以前ほど落ち着いた雰囲気ではありませんでしたが、彼女の魅力は変わらず、ファンたちを魅了しました。
アニタ・ムイは、人生の最後の瞬間に、自らを最も輝かしい花火に変え、苦難に苦しんでいる人々に勇気を与えました。運命に屈しないその精神は香港の歴史に輝きを与え、彼女は「香港の娘」と絶賛されました。今もこれからも、彼女の存在は人々の心で生き続けることでしょう。
番組の中でお送りした曲
1曲目似是故人来
アニタ・ムイが1992年にリリースした広東語の歌で、その清らかで温かい歌声は多くの人の心を癒やしてくれました。
2曲目女人花
アニタ・ムイの最も人気のある曲で、多くの人が彼女のファンになるきっかけとなった曲です。
私は花を持っている
心に秘めて
ほのかなつぼみ
朝から夕暮れまで
私は切に待っている
心ある人が夢にやってくることを
3曲目夕陽之歌
アニタ・ムイの大好きな曲で、近藤真彦の「夕焼けの歌」の広東語のカバー曲です。過去の愛、そして愛する舞台への名残惜しさが歌われています。
歌詞:
夕日はとても美しいけれど
どうしようもなく一息の間に輝くだけ
雲や霞と共に散る
過ぎ去った光を取り戻すことはない
遅々たる年月
この一生の変幻には耐えられない
浮雲の集散のようだ