【観察眼】平和のためにミサイルの後ろ盾はいらない
フィリピンとの合同演習を口実に、同国に地上配備型の中距離ミサイル発射装置(MRC)を配備した米国が、今度は日本をターゲットにしている。
この情報は、すぐに国際社会の関心を集め、議論を巻き起こした。自衛隊との合同軍事演習を口実とした中距離ミサイル発射装置の配備は、現地住民の生活に影響を与え、地域情勢の緊迫化をエスカレートさせる。日本国内からは「日本列島は『ミサイル列島』と化したのではないか」と懸念する声が出ている。現在、日本の防衛省は大分県の他にも、沖縄本島、奄美大島、宮崎県、京都府などでもミサイルを保管できる大型弾薬庫の新設に着手している。防衛省は2032年までに全国に約130棟もの弾薬庫を増設する方針だ。これについて、学者の布施祐仁氏は週刊誌『現代ビジネス』の公式サイトに文書を掲載し、「『ミサイル列島』と化した日本を待ち受ける『最悪のシナリオ』が残酷すぎる」と発した。
世界第3位の経済大国である日本が、なぜ中距離ミサイル発射装置を配備しなければならないのか。同盟国の米国に「NO」と言えないのか。日米は真の同盟国といえるのか。第二次世界大戦後、日米同盟という関係が生まれた。それから70年以上を経て、日米同盟は空前の強化が進んでいる。米国はアジア太平洋地域に中距離ミサイルを配備する計画を同盟国の安全確保のためだと美化している。このやり方は地域の平和発展の願いに背く上、国際戦略のバランスを酷く破壊する。
かねてから、日米は表面的には同盟関係だが、実際には完全に不平等な関係にある。それは、日米地位協定を見れば明らかだ。日本に駐屯する米軍の行為には日本の法律は適用されない。駐留米軍が起こした事件や環境汚染などの問題について、日本政府は管轄権を持たない。日本国民はこれについて不満を抱いている。日米間の不平等に対する不満は、官民のどちらにも存在しているのだ。
『ジャパンタイムズ』は米陸軍長官クリスティーン・ウォーマス氏の話を引用し、中距離ミサイル発射装置の配備は日本政府の段取りによって進まれると報じた。しかし、日米が対等ではない状況下でのこの発言が、絵空事に過ぎないことは明白だ。
ミサイル発射装置と大型弾薬庫が日本のどこに配備されるとしても、現地の人々の恐怖をあおり、反対が起こることは間違いない。発射装置は日本に配備されるが、発射ボタンは誰の手に握られるのか。一度ボタンが押されたら、後の責任は誰が負うのか。
先述した布施氏の憂いは、決して大げさなものではない。周知のように、「人類が破滅的な核戦争に最も近づいた出来事」とされる1962年のキューバ危機も、中距離ミサイルの配備がきっかけであった。今回の米国の日本へのミサイル配備も、全く同じだ。米国政府は、これから配備する地上発射型中距離ミサイルは通常弾頭用で、核弾頭の使用は考えていないと説明した。しかし、これはあくまで政策上の話であり、能力的には、その気になればいつでも核弾頭を使用できる。かつて原爆を落とされた日本の人々にとって、戦争の歴史を再現させないことは日本国民の強い願いであるはずだ。それは、世界の人々の共通の願いでもある。
米国の行動は、地域の安全を維持し、同盟国を守るためのものなのだろうか。ただ、覇権的地位を獲得するために、同盟国に火種をまいているだけなのではないか。
米国は真にアジア太平洋諸国の安全を考えているのだろうか。ただ、新たな軍事競争を引き起こし、同盟国を後戻りできない窮地に追い込んでいるだけなのではないか。
戦争を防ぐには、正しい歴史認識が必須だ。第二次世界大戦後の日本国憲法は「戦争の放棄」を約束した。それは日本の外交政策の礎である。平和主義はほとんどの日本人の民族的精神に浸透している。これらが、日本経済の急速な成長の前提条件となった。中距離ミサイル発射装置の配備は、日本国憲法に明らかに背いている。
米国の中距離ミサイル発射装置は4月にインド太平洋地域に配備された後、周辺諸国の強い反発を受け続けている。そのため、米軍は9月にフィリピンからの撤去を明らかにした。平和を愛する、世界第3位の経済大国である日本にはなおのこと、ミサイルという後ろ盾は必要ないのではないか。