【観察眼】中国文化の遺伝子に組み込まれた端午のドラゴンボート
端午の節句を控え、中国南部各地の川や湖が次第に熱気を帯びてきた。そこでは人々が様々なドラゴンボート大会の準備を進めている。中国ではドラゴンボートが純粋なスポーツ競技でなく、一般の人が参加する伝統行事だ。漕ぎ手は隣の家の張さんで、太鼓を叩くのは近所に住む李さんだ。特に広東省の村々で行われるドラゴンボートの試合では、一つのボートに乗り込むのが同じ村の住人で、ボート同士の村対抗戦が住人全員の心を掻き立てる。
多くの日本人にとってすれば、ドラゴンボートは中国から伝わった一つのスポーツ競技にすぎないかもしれない。1976年6月には世界初の国際ドラゴンボート大会が香港で開催された。それ以来、アジアや欧米にドラゴンボート競技が広まった。日本では大阪で1988年に初めて国際ドラゴンボート大会が開催され、その後は日本各地でドラゴンボート大会が開催されるようになった。ドラゴンボートは競技種目として日本のファンに知られている。
ドラゴンボート競技が中国でこれほど人々の心に深く根ざしているのは、迫力ある競技であるだけでなく、悠久な文化の源流から来たものだからだ。ドラゴンボートの行事は紀元前278年の戦国時代の楚の有名な詩人屈原の死をきっかけに始まった。楚の高官だった屈原は、祖国を見捨てることが忍びられず、5月5日に絶筆の作を書いた後に石を抱いて汨羅江に身を投げた。地元の人々は次々に船を漕いで屈原の遺体を探した。彼らは先を争って洞庭湖まで追いかけたが屈原の痕跡は見当たらなかった。その後、毎年5月5日になるとドラゴンボートを漕いで屈原を記念したので、ドラゴンボートは次第に端午の節句の風習になった。この風習は2000年余りの歴史を経て中国文化の一環として固定され、世界規模に広まった現在のドラゴンボート競技の起源になった。ドラゴンボートはこのような背景により、他の競技よりも文化的な性格が濃厚だ。
中国ではドラゴンボートが近年、ますます盛んになってきた。全国規模の中国ドラゴンボートオープンから、広東省などでの村対抗の試合まで、何億何万もの中国人の心をひきつけ、注目度は年々上昇している。「子、曰(のたまわ)く。衣食足りて礼節を知る」の言葉もある。中国人は豊かになったことで、精神面では伝統文化への回帰を強く追い求めるようになった。昨年の端午の節句のドラゴンボートシーズンには、「広州のドラゴンボートチーム、メンバーはすべて長者レディー」「ドラゴンボート1隻、メンバーの資産は締めて20億元(約434億)」という記事がたびたびアクセス数の上位にランクインした。企業家や高級管理職も、ドラゴンボート活動に参加するために、忙しい仕事から手を放すことを厭わない。なぜなら、彼らにとってドラゴンボートはスポーツであるだけではなく、精神面の追求を満足させてくれるものだからだ。彼らは伝統文化の慣習に従って、村人と一緒にチーム活動に参加して大いに楽しむ。今年も端午の節句が近づき、早くも各地で準備活動が盛んになった。
このような伝統文化への回帰はまた、服装などさまざまな面に表れている。例えば近年、特に若者の間で漢服が流行している。春節などの伝統的な祝日になると、街中で漢服を着た若者をよく見かける。「漢服」という名ではあるが漢代の服装に限らず、中国の歴史上の服装全般を指す。史料に基づき完璧に復元して、唐式、宋式、明式など、こだわりも実に多い。愛好者の増加に伴い、漢服制作は新興産業としての発展が加速している。
伝統文化への回帰はまた、文学作品や映画、テレビ作品、ゲーム制作などにも現れている。中国の歴史を題材にした東洋文化の特色を持つ中国のネット文学が、海外に輸出されて人気を集めている。中国のネット小説と米国のハリウッド映画、韓国のアイドルドラマ、日本のアニメを、世界の「四大文化奇観」と呼ぶ人もいる。海外では、三国時代を背景にした豊富な歴史の物語が彩りを添える中国製のゲームが売れている。中国の伝統文化は中国だけでなく、世界規模で非常に歓迎されている。
中国の長い歴史に根ざした端午の節句は中国人の文化の遺伝子のようなものだ。この節句が近づくと、ドラゴンボートは装いを整え、伝統的な風習が中国人の情熱に改めて火をつけることになる。