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日本人スタッフのつぶやき334~第十三期五カ年計画へのまなざし②

CRIPublished: 2017-09-14 09:08:00
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向田和弘

続けてみていこう。

②2020年のGDPを2010年の倍にする

日本の経験からすれば、単純な経済学的GDPの向上には意味が感じられず、GDPが国民の収入に跳ね返る根拠もない。GDPが国民の幸福度に反映されないのは常識である。現実に中国に生活する立場から言えば、この10年の物価上昇は異常なものがあり、この「成長」に給与レベルが追いついていないという現実があり、不動産の狂乱的高騰も市民生活の形を変えてしまった。これは、ただ単に数値を引き上げればいいという問題ではなく、国民経済の全数値をバランスよく調整するという仕事になってくるはずである。収入と不動産価格、そして不動産価格が間接的に影響するすべての物価などにも配慮し、押さえる部分は押さえ込まなければならない。ただ単に数値を追い求めるだけでは、一部の者が私欲を満たすだけの悪循環が生まれる。成長戦略と同時に、これを防止する仕組みが求められる(これはすでに習主席がはじめていると理解している)。

また、外資企業の立場からすれば、給与のベースアップを強制的に求められるという事例もある2)。この強制的付加価値創造という点においては、この数字を「作る」のは簡単な作業なのである。そうした意味で、私たちが期待するのは、物価の安定と資源浪費の削減、そして実質的収入増に結びつく施策であり、現実的な物価環境と収入環境を作り出す努力を期待したい。何年働けば家が変える、コーヒーは月間収入の何分の1、と、細かい数字を積み上げることで、収入と生活のバランスを実現することが、「和楷社会」には求められてくるであろうし、一般市民が「中国夢」を実現するための道のりを見つけるための手助けになるだろうからである。

ちなみに、2010~2015年における中国のGDPは毎年公表されたような7パーセント前後の伸びを示しているのに対して、北京市の可処分所得レベルは2011年が32903元(都市部)、2012年36469元(都市部)、2014年の時点で平均43910元(都市部)となっている。GDP増加幅以上の増加をし続けているが、実際には前期のような強制的ベースアップがあるためにデータが出てくるだけであって、このまま行けば企業は苦しくなり、結果的には首を絞めることになる。まずはこれを市場主義で解消し、全体のバランスをとるのが最初の仕事になるのではないか。杓子定規な給与基準の調整は企業のためにも個人のためにもならないし、よしんば個人の収入が向上したとしても、企業の体質が悪くなってしまっては、結果として経済活動にはマイナスなはずだ。この点は、計画経済的な施策ではなく、もう一歩踏み込んだ市場化が期待されるし、もちろん、GDPも目標を立てるはいいが、その実現は市場活動に任せるべきであるし、計画につじつまを合わせて、逆に批評を浴びるような結果を招くことは避けるべきだと考える。

基本的に、政治とは国民の幸福のためにあるものである。試験地獄から続いているのか、数字ばかりを追求していく姿勢は、中国としてももうそろそろ終わらせてもいいのではないかという気がする。無理に外向きの数字を積み重ねるのではなく、物価向上の「元凶」である不動産価格の調整や、それを支える学区制など制度、そして一部の利益供与にもつながっている「内部訂購」の取り消し等の仕組みの取締りなどからコントロールしていくのが物価上昇を根治する方策ではないかと思えてならないし、中国が国民に安心して暮らせる国となるための方策に思えてならない。もちろん、外国人として、中国には「外国人が勉強や仕事や定住先として来たくなる国」「生活に充実感を感じられる国」になってほしいし、友人らが毎日憂いなく暮らせる国になってほしいと願っている。

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