作家・伊藤比呂美さん 中国のリアルと若者へのエール
日本の作家・伊藤比呂美さん(68歳)が3月中旬、約一週間にわたり、上海、杭州、北京、天津などを訪問しました。女の一生や老いをテーマとしたエッセー集『閉経記』『犬心』が近年、中国で翻訳・出版され、若い女性たちの話題となったことが、今回の旅のきっかけです。
20代で詩人としてデビューし、出産、子育て、離婚、介護、老いなど、女性の一生を作品にし続けてきた伊藤さん。両親と夫に先立たれた現在は、1997年から暮らしていたカリフォルニアを離れ、拠点を熊本に移し、東京の大学で教鞭を取りながら文筆活動を続けています。
「自分らしく」生きることを声高らかに唱える伊藤さんの著作は、ファミニズム(女性主義)への関心が高まっている中国でも注目され、近年、中国語に翻訳されたエッセー集『閉経記』は、中国のレビューサイト「豆瓣(douban/ドウバン)」の2022年度の読書ランキングで4位にランクインしました。
3月16日 北京での日本文学の歴史をテーマに講演する伊藤比呂美さん
実質的に初めての中国となる今回の旅。伊藤さんは中国各地の本屋やバーなどでの読者交流会や復旦大学や清華大学などでの講義などを通し、中国の学者や学生たちと深く交流しました。
伊藤さんの目には、中国のリアルはどう映ったのでしょうか。中国の若者の印象やAIに文学は作れるかなど、さまざまな質問をぶつけ、そして、中国の女性たちに伝えたいメッセージを伺いました。
■中国には「10年早く来たかった」
――中国の大学生や読者との交流の手応えは?
面白かったです。みなさん明るくて、前向きに自分を表現してくれる。女の子たちは、男の子よりもややシャイだけど、ちょっと押してあげるとふわっと開いてくれて、笑い顔を見せてくれる。そして、「自分の人生が変わりました」「何かを開いてくれました」「救われました」みたいなことを言ってくれる人たちがいて、本当に嬉しかったです。
――中国にどんなイメージがあった?
日本の新聞などでは、わりとネガティブなことが書かれていますが、全然違いましたね。国家とかの大きなシステムの中の日本人とか、中国人とかというイメージで捉えられがちですが、実際に来てみると、全然違うなと思いました。
――学生の頃から書道や篆刻、漢文にも親しんでおられるそうですが、これまで中国を旅しなかったのは?
とにかく忙しかったんです。日本、アメリカ、ドイツの間を行き来していたので。それともう一つ、私にとって中国文化というのは、頭の中にあって、しかも漢文、漢詩という過去にあったもので、今、何が起こっているかということには興味がなかったんです。不思議でしょ。でも、日本文化もそうかもしれない。私が興味のある日本というのは、9世紀とか11世紀とかの日本なんです。そんなもんですから(笑)。
3月14日 北京のバーで開かれた読者交流会の様子
――この一週間をどのように振り返りますか。
10年早く来たかった。そしたら、もっと関われて、また来て、また来て、また来てというのができたなと思っています。大学で話している時に、黒板に漢字を書くと、みなさん分かるんですよ。それはアメリカやドイツではありえなかった。やっぱり漢字を使える我々と漢字が使えない人たちとでは、相互理解が全然違うと実感しました。浅く広くという形のコミュニケーションは、ずっとこっちの方が取れると思いました。
■中国で愛読される理由「叔母のような存在」
――ところで、中国の女性に対する印象は?
今回は『閉経記』という本が中心だったのですが、とても面白かった。読者の意識が高く、みんなちゃんと読んでくれていて、すごい反応してくれました。若いエネルギーというのを今回すごく感じました。
実は1980年代に受けた印象では、中国の女の方が男と同格に仕事ができる。なんでもできて羨ましいなと思っていました。でも今回来てみたら、日本とあまり変わらないかもしれないと思いました。ただ、今の日本の女性は少し元気がない。だから、今の中国の若い人たちは一段とエナジェティックだなと思いました。
3月14日 北京で読者にサインする伊藤比呂美さん
――伊藤さんの著作が、中国の若い女性に人気だと聞いた時の気持ちは?
当然だろうなと思いましたね。日本人と中国人はもちろん違いもありますが、基本的な家族制度や生き方の倫理とかがすごく似ていますよね。それは、アメリカのそれとは全然違うと思うんですよ。
欧米では私の作品の中で“文学”といわれるものが翻訳されている。それが中国や韓国、つまりアジア文化圏では『閉経記』『犬心』などのいわゆる“エッセー”、女というものを主題にしたもの受け入れられている。不思議でしょ。たとえば、アメリカで出ている『トゲ抜き 新巣鴨地蔵縁起』。これは、私は詩だと言っているんですが、小説なんですね。ネタは『閉経記』と同じで、それを“文学”として書いたものです。この前アメリカで出版されたエッセー集『木霊草霊』も思想文学として読まれているようです。ノルウェーやドイツでも同じような傾向です。
――読後の感想では「女性としてこれから体験することの予習ができる」「この本を母親にプレゼントしたい」「伊藤さんは気軽に相談に乗ってもらえる叔母のような存在」といった回答がありました。
すごく嬉しい。中国の読者は20代から40代が中心ですが、日本の読者はもっと年上です。若い人たちに読んでもらえて、触れ合うことができるのって、本当に面白いと思います。彼らは傷つきやすいし、特に日本の若い人は後ろ向きだしね。私はコロナを挟んで、日本で大学の教師になったんですが、目の前で若い人たちが傷ついて、打ち回って落ち込んで、這い上がってこられなくて、苦しんでというのを本当に見てきたんですよね。
私はもう「おばさん」で、そこまで傷つかないから、彼らが考えていることに共感して、「あ、そう、よく分かるわ」と言いたい。ただおばさんは面と向かって座らないんですよね。隣に座って同じ方向を見つめるんです。そして話を聞きながら、時々「分かんないから、もう一回言って」って言って、また聞く。こんな関係性が持てればいいなと思っています。
■「自分らしく」とエールを送りたい
――伊藤さんの中国の読者は、昨年話題になった上野千鶴子・鈴木涼美共著の『往復書簡 限界から始まる』の読者層と、かなり重なっています。「女性である」ことに目覚めつつある中国の若い女性たちをどう捉えますか。
結局みんな何か言ってくれる「叔母さんが欲しい」んだと思います。昨年、上野千鶴子さん、鈴木涼美さんと一緒に作家の高橋源一郎さんのラジオ番組「飛ぶ教室」に出演したんですが、そこで高橋さんは4人は家族だと言ったんですね。長女は上野さん、次女が涼美さんの母親(児童文学研究者の灰島かり)、三女が私で長男が高橋さん。そして、私たちの親は「近代の日本」だと。でも、親は死んじゃったと、そういう話をしたんです。涼美さんはあの本の中で、しきりに「母との関係の難しさ」を語っています。涼美さんの母はもう亡くなっているのですが、ずっと母との関係についてストラグル(悪戦苦闘)している彼女に対して、上野さんは「ちゃんと自分の傷に向き合いなさい」と言った。あの番組の白眉はあそこでしたね。三女の私はものすごくいい加減で、食べたいものだけ食べて、「じゃあね」みたいに帰っていく。そしてまた帰ってくるみたいなのが、私の役割だなと思いました。
――そういう「近代の日本」が生み出した子どもの本が、中国でも共感を呼んでいる現象をどうとらえていますか。
面白いですね。それにすごく似たことが日本でもありましたよ。
『82年生まれ、キム・ジヨン』という韓国の小説があります。韓国の1982年生まれの女が仕事と夫と家族との間で苦労した末、精神的にバランスを崩しちゃうという話なんですけど、それを日本人の女たちは、自分のこととしては読まない。でも、すごく近い話として読むんですよ。違う文化だからこそ、引きつけて読めるんだと思います。
上野・涼美・伊藤は今、中国の若い女たちにとって、すごい近いところにいて、よく分かるけれども、ちょっと距離がある。だから、自分たちの何かを侵害してくることはない。自分たちは安全なところにいるけれど、この人たちに勇気をもらえる。そんな作用があるんじゃないですかね。
3月16日 北京での講演会で翻訳者の蕾克さん(左)と詩を朗読する伊藤比呂美さん
――中国の大学から講義の依頼があったら、一番伝えたいメッセージは?
やっぱり自由に考える、フレキシブルに考えるということですかね。私の言っている「自由に」というのは、「自分らしく」ということです。たとえば私は日本の大学で女子学生に最初に言ったのは「地声で話せ」ということでした。かわいらしいアニメ声なんかじゃなくてね。「自分らしく」あること。そういうことを中国の学生も伝えると思います。
■生まれ変わっても「女」
――68歳の今と55歳頃で、死生観に変化はありましたか?
すごく変わりましたね。私はまず、母が死に父も死にました。それを通して、仏教に出会い、お経に出会ったんですよね。それから何年かして、今度は夫が死にました。親っていうのは、ある意味送り出して当然みたいなところがある。でも、夫が死んだ後の空虚感というのは、これまでなかった体験。ちょうど娘たちが巣立って、夫と2人になってしばらくしてからのことだったし、アメリカにいたでしょう?どうやってこの空虚の中で生きてくんだろう?と思ったら、早稲田から来いっていう話が来て、「行きます」となったんですよね。今、同世代の人たちが死に向かっていく。これは寂しい。そういう自身の体験の投影もあり、時期によって作品のトーンも明るくなったり、暗くなったりしています。
――そうした経験の中で、人生の意義についてどう考えていますか。
それはもう、父や母、犬やみんなを見ていて、「みんな死ぬまで生きるんだな」と思った。すごく単純な言い方ですけど、「いつか死ぬ、それまで生きる」のが、命あるものの“定め”。そういうものなんだなと理解しました。
見ていたら、母も父も夫も犬も、死ぬまで生きてるんですよ、ずっと。自分の生を一生懸命に。痛い時には「もう死にたい」とかと言っても、それはある意味ファンタジーです。痛ければ、看護師さんを呼ぶし、お腹が空いたら、どんな状態でも食べるし。それが最後まで、そうやって生きて死んだんですよね。わりと最近出した本のタイトルが『いつか死ぬ。それまで生きる』なんですけど、これは我ながら名言だと思いました(笑)。
――生まれ変われるとしたら、男女どちらを選ぶ?
もう一回「女」を繰り返したい。私の若い頃、「女だから、これができない」「女の子だから、これがダメだ」とかというのがいっぱいあったけど、なにかあると燃えるじゃないですか、「何くそ」とか思って。それが楽しかったですね(笑)。
■「AIには絶対書けない文章」
3月16日 CMGのインタビューに答える伊藤比呂美さん
――伊藤さんにとって「書くこと」とは?
水とか酸素とか、そういうもののような、なくなったら何もできないようなものですね。常に書くから、生きているという…・。
――AIが小説や絵、詩を作れるようになったことをどう思いますか?
私がやっている作業はAIには絶対できない、そういう自信があります。私がやっぱり一番好きなのは“文章”。最近「森林通信」という本を出したんですが、AIには絶対書けない文章を書いています。
――AIが進化する時代に、私たちは人間力をどう磨ければよいとお考えですか?
私の分野で言ったら、やっぱり“美”なんですよ。何を美しいと思い、何を感じないか、鈍感さも含めて。美を感じ取る気持ち。そこだと思う。私の場合は「文体」、つまり「詩」ということですけどね。だから、そこだけは「機械ごときに何ができるか」みたいな感じがあります(笑)。
――これから文学や詩の位置づけは変わると思いますか。
思います。AIが作ったものに慣れてきたら、読者たちが変わってくるので。もうすでに変わっていますよね。そういう読者たちには、多分、私の文章は分からないだろうと思います。すごく悲しいことだけど。AIが書いた文章と、私の書いた文章を見て区別ができる人がいたら、それは私の本当の読者だって思う。でも、どんどん減っていく……。それが減っていって、誰も読まなくなっても仕方がない。
でも、何百年か後に、どこかの大学のすごく変わった人、変人だって言われながらコツコツ研究をしているような人に見つけてもらって、「昔、伊藤比呂美という人がいて、こんな文章で女の人生について書き、こんな文章で木の話を書いていた。めっちゃ面白いな」と論文を書いてくれたらいいなって思っています(笑)。
――考古学的な対象になるということですね。
そうそう(笑)。「なんか、昔は『木』というものがあったらしいよ」「根っていうのがあって、こう伸びていって、緑色で」とか、そこから調べなくちゃいけないみたいな時代に見つけてくれたらいいなと思う。そんな誰かが未来に私の本を読んで、「どうもこの文章は他の文章と違う。これは何だろう?」と疑問を持ってくれたら幸せですね。
3月16日 出版社が企画した交流会でズンバを楽しむ伊藤比呂美さん
――最後、今回の中国滞在でやり残したことは。
ずいぶんやり尽くしたような気もしてます。でも、また来て、同じことを繰り返したい。いっぱい、いろんなもの食べて、おしゃべりをして、いろんな人と知り合って。本当に出会う人、出会う人、みんな楽しかったです。ありがとうございました。
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