【北京冬季五輪注目の選手④】フリースタイルスキー・谷愛凌
第24回オリンピック冬季競技大会は2022年2月4日から20日まで、第13回パラリンピック冬季競技大会は3月4日から13日までの日程で、北京市、延慶区と河北省張家口市の3つのエリアを舞台にそれぞれ開催されます。このコーナーでは、冬季オリンピックとパラリンピックの注目の中国人選手をご紹介します。
自身初の冬季五輪、楽しみは“餃子”?
資料写真
谷愛凌
2003年米サンフランシスコに生まれる
2019年イタリアで行われたW杯で優勝世界ランキング1位
2019年国籍を中国籍に変える
2019年8月ニュージーランド開催のスロープスタイル大会で優勝中国籍へ変更後の初タイトル
2020年1月スイスで開催されたユースオリンピックでハーフパイプとビッグエアの2種目で優勝
2021年3月自身初の世界選手権となる米アスペン大会のハーフパイプで中国人初の優勝を果たす
2021年12月米国で行われたビッグエアのW杯でダブルコーク1440に成功試合の中でこの技に成功した世界初の女子選手に
出場種目:フリースタイルスキーのハーフパイプ、スロープスタイル、ビッグエア
2020年1月のユースオリンピックビッグエアで優勝した谷愛凌さん
スキーとの出会いは生後2カ月?
谷愛凌さんは2003年、米サンフランシスコで生まれました。父親は米国人、母親は中国・北京出身のスキーインストラクターでした。谷さんが最初にスキー場に行ったのは生まれてわずか2カ月の頃、母親に連れていかれました。3歳の時、スキーにますます興味を持つようになった娘を母親が指導し始めたところ、彼女のスキーの習得がとても早いことに気づきます。普通の子供が1カ月、2カ月かかってようやく身につける技を、娘は数時間だけで十分こなせるようになっていました。そして、4歳の時にはすでに自由自在に雪山を滑れるようになりました。
8歳でプロチーム入り
母親は娘がほかの上手な子供たちと一緒に滑れるように、8歳になった谷さんを現地のスキークラブに連れていきました。そのクラブの責任者は、谷さんの滑りを見て、プロチームにも入れるレベルだと評価しました。しかし、母親はプロチームの練習が大変で、勉強にも影響するため、行ってほしくありませんでしたが、スキーが好きで好きでたまらない娘を見て、「学校の勉強もちゃんとしてね」と言って認めてあげました。
そして、現地のプロチーム入りした谷さんは9歳の時、米国で行われた青少年向けの大会で優勝。13歳から米国国内や海外で行われる大人向けの大会に出るようになり、14歳までにさまざまな大会で金メダルを合わせて50個も獲得しました。15歳の時には、イタリアで行われたW杯で優勝し、国際スキー連盟による選手ランキングの1位にも躍り出る世界的な実力選手に成長しました。
米国籍から中国籍へ
ある日、谷さんは一つの決断をしました。それは国籍を変えること。実は、谷さんは2歳の時から毎年、母親の実家、北京に遊びに戻っていました。小さい時から中国語、厳密に言えば北京語をペラペラと話すことができますが、見た目は西洋人だったため、北京の子供と遊ぶときには、よく「あなたは外国人なの?」と聞かれていたそうです。その際、谷さんはいつも「私は中国人だよ」と答えていました。2015年、北京にいた谷さんは、冬季オリンピック招致成功を決めた瞬間をテレビで見ました。その時に、将来中国を代表して北京冬季オリンピックに参加したいという夢を抱きました。それから4年後の2019年6月、彼女は米国籍を放棄し、中国籍になったことを発表しました。