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【日本語放送80周年~リスナーと共に歩む】(中)「BCL少年」の北京放送

CRIPublished: 2021-12-08 21:19:00
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「手紙を送りますと、受信確認証、番組表のほか、切り絵、冊子(「中国画報」)なども別便で送られてきて、とても親切な放送局、国だなという印象を受けた」と振り返りました。今や植物撮影愛好家として活躍している杉村さん。地元・右山五月町を中心に、清流がきれいな四万十市周辺の四季折々の景色をときどき放送局にメールで分かち合い、交流を続けています。

2020年夏、日本語放送の「コロナ禍の戦後75周年、私が今思っていること」の企画に対し、杉村さんは幼少の頃に、周囲にいた戦争体験者から直接聞いた話や、母親から「かつて、中国から見て日本は敵国。その敵国の子供を育ててくれて、中国の人は優しいことよね」と中国残留孤児の話を聞いた時の思い出を投稿し、平和の大事さを訴えました。

「80周年を通過点として、90年、100年、200年、300年と、貴局の日本語放送が続き、発展されることを心から祈っております。私も微力では有りますが、中日友好が未来永劫続くように、活動したいと思います」

杉村さんの力強いメッセージから、在りし日の「BCL少年」たちの心意気が伝わります。

2021年1月、杉村さんから新年特番に寄せられた写真と自作の俳句

時代と共に変わるメディアインターネットとラジオの共存に期待

一方、世界のメディア環境はインターネットやSNSの普及により、大きな変化が生じています。そうした中、北京から発信される「ラジオや音声番組が持つ独特な魅力」があるという評価があると同時に、多様な媒体を活用した中国発信に期待するという声も届いています。

現在、北海道石狩市在住で、観光業に携わる上田知晴さんは、「マルチメディアの時代だからこそ、ラジオはとても大切だと思う。視覚を奪われず、作業をしながら耳から音声を聞き取って、様々な情景や風景を頭の中で想像して、思考を広げていくことができるのは、ラジオの魅力だと思う」と暖かい応援のメッセージを寄せてくれました。

三輪徳尋さん

これに対し、東京の三輪徳尋さんは、今の時代は「粗末な受信機で懸命に短波放送の電波を拾って、メッセージを受け止めていた頃よりも、様々なメディアミックスによって、ずっと強く、そして深く“北京から日本に向けたメッセージ”を受け止めることができるようになった」と指摘し、「今後、多様な媒体を活用して、よりリアルで多面的な中国の姿や日本に向けた暖かなメッセージが、北京からより多く届けられることに大きな期待をしている」と発破をかけてくれました。

インターネットとラジオの共存を呼び掛ける声もあります。1960年代から世界各国の日本語放送を聴いてきた細谷正夫さんは、情報伝達がラジオの時代からインターネット重視の時代へと大きく変わりつつある中、社会インフラとしてのラジオ、危機管理ツールとしてのラジオの特徴に注目しています。「変化する時代にあっても、インターネットの『目で読む』『視覚に訴える』というメリットは生かしつつ、一方、低価格の小さなラジオが一台あれば、たくさんの国の放送を聴くことが出来る、そういうラジオ放送のメリット、コストパフォーマンスも生かし、インターネットとラジオ放送が、末永く共存していくことを願う」とラジオファンだからこその期待を聞かせてくれました。

80歳を迎えた北京放送に対し、東京都にお住まいの元大学職員の細谷正夫さんは「歴代の、そして、今を支える日本語部のスタッフの皆さんが、幾多の困難を乗り越え、中国と日本の人々の相互理解促進のため、努力されていることに対し、深く敬意を表したい」と暖かい言葉をかけてくれました。

■杉村和男さんの四万十お便りから

「藤の瀬バラ園」には、とてもロマンチックなエピソードが有ります。ここで、結婚式を挙げたカップルが居て、記念に植えられたバラの名前が「恋結び」です。

ゴールデン・ボーダー1987年、(仏)メイアン社により作出され、高さ1メートル程度になり、花弁は丸く、カップ咲き(花を横から見た時にティー・カップのような形をしているもの)の花を房咲き(花枝の先がいくつにも枝分かれして、ブーケのように花を咲かせる)に付けます。咲き始めは黄色で、次第にパステル・イエローに変化して、アンティーク調な色合いになります。名は、この二つのカラーに由来します。

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