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オリンピックとともに歩む人生~IOC文化オリンピック遺産委員会・侯琨委員に聞く

CRIPublished: 2021-08-03 21:03:00
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メガネ姿に細長い体形。初対面の時、目の前の侯さんは「スポーツとゆかりの深い方だ」とはとても思えませんでした。しかし、見かけによらず、侯さんは、中国スポーツ切手収集と収蔵協会副会長、北京冬季オリンピック大会をPRする講演団メンバー、オリンピック博覧会組織委員会高級顧問など多くのスポーツ関係の肩書を背負っています。さらに、数えきれないほど多くのスポーツ大会で、聖火ランナーを務めてきました。まさにオリンピックの熱狂的なファンと言っても過言ではありません。2012年からこの1月まで、世界の、冬季オリンピック、夏季オリンピック及び14歳から18歳までを対象としたユースオリンピックの26か国47開催都市をすべて行脚しました。

今日の「CRIインタビュー」は、そんな侯琨さんの「オリンピックとともに歩む人生」にフォーカスしてお伝えしてまいります。

IOC文化・オリンピック遺産委員会委員の侯琨さん

侯さんがオリンピックと縁を結んだきっかけは、2008年の北京夏季オリンピック大会に端を発します。スポーツ観戦などをめぐり興奮冷めやらぬ体験をたくさんした彼は、2年後の2010年に会社員の仕事を辞めて起業し、文化としてのオリンピックのPRに専念すると決意しました。

世界中のオリンピック開催都市行脚を決めたきっかけについて、侯さんの話です。

「ある日、友達と会食した時、オリンピックのPR事業を始めた以上、世界中のオリンピック開催都市を回ってみようではないかという大胆な発想が沸きあがり、話が盛り上がりました。大会後、開催都市はどう変容しているのか、その姿をこの目で確かめてみたい。そう思って、私は旅に出ることを決めました」

1984年ロサンゼルス五輪の聖火トーチを手にした侯琨さん、ロサンゼルス五輪のメインスタジアムにて

実際に決意したのは2011年11月のことでした。ロンドンオリンピックのスローガンである「世代を超えたインスピレーション」に心打たれ、当時28歳だった侯琨さんは翌2012年1月1日に早速ロサンゼルスに赴き、世界を歩き回るオリンピックの旅を正式に始めたのでした。

「最初の頃、オリンピックを試合そのものにフォーカスして、スター選手や新記録が誕生する場だとしかとらえていませんでした。しかし、オリンピックのPR事業、そして世界行脚の旅を始めてみると、文化としてのオリンピックに触れることができ、真の意味でのオリンピックスのファンになり、追っかけになりました」

侯さんは最初は、夏季オリンピックの開催都市の行脚のみを目指していましたが、2014年南京ユースオリンピックの開催と2022年北京冬季オリンピックの開催決定が彼にとって、新たな刺激となり、冬季オリンピックやユースオリンピックの開催都市も計画に入れました。その時から9年余り。侯さんは日本の東京、長野、札幌を含む26カ国47オリンピック開催都市のすべてを踏破しました。

日本の新幹線長野駅

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