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ピンポン外交50周年若き外交官が記念ソングに込めた思い

CRIPublished: 2021-07-06 21:15:00
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満開のサクラを見た1971年のことをまだ覚えているか

各国からのピンポン選手たちが名古屋に集まった

会ったことがない人たちが目を合わせると

瞳の中に同じ信念が輝いている……

同じ世界同じ青空

手を携え、新しい未来を切り開く

どんな時代でも、春は必ずやって来る

私たちの目には、海と星空が映る……

「ピンポンからの友情」ミュージックビデオから

中日両国の若者が名古屋城をバックに中日英3カ国語で歌われるこの歌は、「ピンポン外交」50周年を記念して作られた「ピンポンからの友情」です。5日に中国駐名古屋総領事館が公開しました。作詞・作曲は同総領事館館員の岳倩さんと、アジアで活動するバンド「GYPSY QUEEN」のリーダー・秋山岳久さんです。

名古屋とゆかりのある「ピンポン外交」から50年となる今年、中国駐名古屋総領事館は年初から記念ソングやロゴの作成などシリーズ記念行事の準備を始めました。その後、日本国内で新型コロナウイルスの感染拡大による自粛が続いたことを機に、岳さんは音楽理論を独学し、人生初のチャレンジ――作曲に挑むことを決意しました。

試しに作ってみたメロディーが総領事に評価されたのを弾みに、岳さんは「ピンポン外交」の関連資料を読み、50年前の選手たちの気持ちを想像しながら、本格的に作詞と作曲を進めました。その後、チャイナフェスティバル事務局長でもあるミュージシャン・秋山岳久さんの力添えを得たことで「魔法をかけられたような良い曲になった」と、岳さんは嬉しそうに語ります。

歌を収録中の岳倩さん

完成後には、愛知大学の学生たちの協力によってミュージックビデオも制作され、「ピンポンからの友情」はピンポン外交50周年記念ソングの一つとして正式に発表されました。CRIのインタビューの中で岳さんは「この人生初の体験は一生忘れない記憶になります。ピンポン外交は50年前の話ですが、歌を多くの人に聞いてもらって、特に多くの若い人にその歴史を知ってもらい、友好を受け継いでほしい。未来に向かって今の世代と次の世代をつなぐ、新しい友好を作りたい」との思いを語りました。

【リンク】

1971年3月、中国代表チームは名古屋での第31回世界卓球選手権大会に招かれ、6年ぶりに国際試合に出場しました。これに端を発する「ピンポン外交」が、冷戦の真っ只中で歴史の歯車を大きく動かしたことから、中国では「小さな銀球が大きな地球を動かした」できごととして知られています。

1971年1月、周恩来総理と握手する後藤鉀二会長

今月5日、中国駐名古屋総領事館、愛知県日中友好協会、愛知県卓球協会、新建文化スポーツクラブの共同主催による、「ピンポン外交」を記念するためのオンライン発表会が開かれました。劉暁軍総領事は挨拶の中で、50年前に中国代表を第31回世界卓球選手権に招いた日本卓球協会の後藤鉀二会長をはじめとする関係者の功績を称え、当時の中米関係改善と中日国交正常化が実現する過程で、ピンポン外交が果たした役割の重要性を振り返りました。そのうえで、「歴史を振り返って未来を展望することは、初心を忘れずに、平和、友好、ウィンウィンというピンポン外交の精神を受け継ぎ、それを発揚させ、両国の国民の相互理解と友情を深めることにつながる」と話しました。

後藤鉀二さんの孫である愛知県日中友好協会兼愛知県卓球協会の後藤泰之会長や、日中友好協会の岡崎温理事長、新建文体クラブの朱新建代表らも発表会に参加し、それぞれ挨拶しました。

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