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絵手紙で結ばれた中国と日本のまごころ

CRIPublished: 2021-02-23 21:56:00
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倪さんは、「絵手紙から中国画の姿を見出すことができるため、親しみを覚える」と話し、絵の上手か下手かよりも「心の贈り物」であるという理念に心打たれて、中国でもそれを広めようと決心しました。

倪さんの活動は、当時の蘇州市外事弁公室の責任者である談工皎主任の賛同を得て、蘇州市内の一部の小中学校でも絵手紙を教育の一貫として導入されて、実を結びました。その成果の一つとして、中日国交正常化30周年にあたる2008年に、蘇州市と日本絵手紙協会の共同企画として、「中日絵手紙10万通合同展」が開催されるまでになりました。

中国から日本絵手紙協会小池邦夫会長とのやり取り

今は自らが立ち上げた蘇州市絵手紙協会の会長を務める倪さんは、「絵手紙は、中国の伝統的な筆と墨を使って、国境と時代を跨いだ効果的な交流ツールとして蘇州で幅広く受け入れられた」ことを大変喜んでいました。

日本伝来の絵手紙は、蘇州の都市の歴史に忘れがたい足跡も残しました。2003年6月、蘇州で開かれる予定だった第27回世界遺産委員会が感染症SARSの影響で、急遽パリに移しての開催となりました。

「蘇州にもう一回チャンスをください」という願いを世界にPRしたのは、蘇州の子どもたちが描いた絵手紙でした。パリ会場に送られた1750枚の絵手紙は、世界から訪れた500人の代表らに蘇州の気持ちを伝える最高のお土産となりました。絵手紙に込めた思いが実り、翌年、第28回世界遺産委員会が蘇州で無事開催されました。

<101歳の神宮寺敬さんに絵手紙で「おめでとう」>

蘇州を拠点に中国各地に広まった、絵手紙を送る動きの主な担い手は、主として、蘇州市絵手紙協会、そして、同協会と友好関係にある「スケッチ中国」という美術愛好者の団体です。Wechat上のグループチャットでは、メンバーたちは季節の変わり目ごとに絵手紙を送り合い、24節気にまつわる絵手紙企画も行ってきました。

40年前に、神宮寺さんの家で下宿した田紅さんもメンバーの一人です。1986年から毎年のように、秋の稲刈りが終わった後に、必ず家族とともに中国を訪れる神宮寺おじさんが、コロナ禍で中国に渡航できないことを残念がっていることを聞きつけ、仲間の皆さんに神宮寺敬さんのことを文章と写真で紹介し、「中日友好をラーフワークとして取り組み続けてきた神宮寺おじさんに、誕生祝の絵手紙でも描きませんか」と呼びかけました。その結果、国内の10都市とスイス在住の仲間たちが、18通の絵手紙を書き上げました。以下がその一部の写真です。

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