最近は北京の街角で玉ランやレンギョウの花、桃の花など様々な花が咲き誇り、春の生気と活力を感じさせられます。青空、白い雲、春風、本当に凧揚げのいいシーズンになりました。この時期は温かく心地よい春風を迎えて凧揚げを楽しみ、春の美しさを味わうことができます。今回の中国メロディーは中国各地の凧揚げの民謡をお送りしましょう。
凧の由来
凧は中国に起源を持つ民間工芸品で、その始まりについて多くの伝説が伝えられています。紀元前206年から紀元前202年にかけて、楚の項羽と漢の劉邦との間で中国史上、最も壮大でドラマチックな戦いが繰り広げられました。紀元前202年、劉邦軍は項羽を垓下に追い詰めました。
夜、 劉邦軍の将軍・韓信は部下に牛の皮で作った凧を揚げさせました。凧は項羽陣営の方へ飛んでいき、凧の上に付けられた竹笛は風に吹かれて音を立てました。この時、劉邦軍の兵士たちは笛の音に合わせて楚の民謡を歌い、故郷の歌が聞こえた項羽軍の兵士は故郷の楚は敵軍に占領されたと嘆き、戦う気力も失せてしまい、項羽軍は惨敗しました。この逸話こそが有名な四字熟語・四面楚歌の由来と伝えられています。
春の風物詩・凧揚げ
毎年、二十四節気の「清明」前後になると、寂しい冬が過ぎ去り、命ひしめく春がやってきます。
温かい春風が大地を吹き渡り、中国北方ではこの時期、凧を空に揚げたあと、凧を繋ぐ糸を切って凧を自由に飛ばせ、自分の不運と一緒に大空に散らす習わしがあります。様々な期待を載せた色とりどりの凧はまるで鳥のように青空の中を自由に飛び、生気あふれる春と触れ合う姿は春の風物詩とされています。
凧の運命
凧は春秋戦国時代と漢の時代には軍事利用などの目的を持っていたと言われていますが、今から1100年前の宋の時代になると遊び道具として民間で広まりました。しかし13世紀の元の時代には、「10世代ごとに包丁1本を使う」など、厳しい決まりが作られ、当時の人々は竹を切って凧を造るどころではなかったため、元の時代の空が最も寂しい空だと言われています。その後、明の時代に入っても凧は冷遇され、当時の皇帝が首都で凧揚げすることを禁止しました。清の時代に入ると、ようやく凧揚げはついに解禁され、凧作りのレベルも凧の芸術性のいずれも全盛期を迎えることとなりました。
現在、凧揚げはスポーツとして世界に広がり、1989年から始まった山東省濰坊国際凧揚げ祭は毎年4月になると、世界各地の数万人の凧愛好家が参加します。中国を発祥とする凧はすでに国境を超え、各国の人々の友情を結ぶ絆となっています。