中国最後の王朝の清の最後の皇帝・溥儀も、即位した後、清の西陵に陵墓が建設され始めました。1910年、陵墓の基礎工事が行われましたが、その1年後に清王朝は崩れ、工事は中止されました。歳月が経ち、風雨にさらされ、いまでは陵墓の跡もありません。溥儀は1967年、病で亡くなった後、火葬され、その遺骨は北京の八宝山革命公共墓地の遺骨堂に納められました。1995年、妻が彼の遺骨を、河北省易県に民間経営の陵墓へ移しました。この陵墓は、清の西陵の文物保護区内にあり、光緒帝の崇陵とは目と鼻の先、たがいに向かいあっています。ここは、世界文化遺産のエリアには含まれていませんが、「自分が死んだら西陵に埋葬してもらいたい」という溥儀生前の願いを果たしたものです…
二時間目は、河北省易県の地形や気候などの基本情報をご紹介します。その後、清の西陵へのアクセス方法などをご紹介します。次は、清の西陵の周辺のその他の有名な観光スポットをご紹介します。さらに、現地の代表料理、驢馬肉火焼(ロバ肉バーガー)をご紹介します。ぜひお聞きください。(任春生)