大紅門をくぐると、長陵に向かう参道です。この参道にある最初の建物は、高さ25.14メートルの「碑亭」で、亭内には高さ7.91メートルの石碑「大明長陵神功聖徳碑」が建てられています。石碑には3500字の碑文が刻まれています。これは明の仁宗・朱高熾が、その父、朱棣のために作ったものです。
敷地面積10ヘクタールの「長陵」は、十三陵を代表する最大規模の陵墓です。1409年から4年をかけて完成し、すでに600年の歴史があり、十三陵の中でももっとも保存状態がよい陵墓です。
とりわけ、その享殿は、明の皇帝陵の中で唯一、今に残る神殿です。本堂の幅66.56メートル、奥行き29.12メートル、高さ25.1メートル、総面積は1956平方メートル。明・清代の宮廷、紫禁城の太和殿の規格によく似ています。
長陵のほか、もっとも特色のある陵墓は、「永陵」と「定陵」です。永陵は、明代の第10代皇帝、世宗・朱厚照と皇后、2人の妃の合葬墓です。規模の大きさは、長陵に次ぐものです。しかし、現在は、ほとんど、崩れました。今、ほぼ完全な姿で残っているのは明楼だけです。
思陵には明代最後の皇帝・朱由検が葬られています。李自成の農民蜂起軍が北京城を攻め落とした際、朱由検は紫禁城北側の煤山で首をつって自殺しました。のちに清代の統治者が、朱由検の皇后の墓に、彼を埋葬しました。
定陵は、明代の第13代皇帝、神宗・朱翊鈞と、彼の皇后と妃の合葬墓です。十三陵の中では唯一、発掘された陵墓です。朱翊鈞は、在位年数が最も長い皇帝です。在位は48年に及びましたが、贅沢な暮らしをした暗愚の君主です。その陵墓は、1584年に着工し、6年を経て、完成しました。費やされた白銀は800万両となり、当時の国家税収2年分に相当しました。
1956年5月、考古学者ら定陵の発掘をはじめました。1年をへて、地下に埋没している強固な壁の中に、墓室に入るためのアーチ型の門をようやく見つけました。
定陵の地下宮殿は、総面積1195平方メートル、前殿、中殿、左配殿、右配殿、後殿の5つの殿堂で組み合わされています。地下宮殿には一本の柱も梁もなく、天井はすべて石をアーチ型に組んだものです。後殿は最も高いところが9.5メートル、ほかの殿堂も高さ7メートルを超えています。その建設技術は、中国古代建築においても最高レベルに達しているといわれています。
地下宮殿から出土した文化財には、金、銀、陶磁器、玉、絹織物などがあります。現在、これらの文化財は、長陵と定陵の陳列室にそれぞれ展示されています。
明の十三陵は、万里の長城(居庸関)からそれほど遠くはありませんから、みなさん、万里の長城を見学してから是非、世界文化遺産にも登録された明の十三陵にも足を伸ばしてくださいね。
十三陵の近くの観光地と北京の羊肉のシャブシャブ
二時間目は、十三陵がある北京の昌平区の基本情報をご紹介します。その後、十三陵観光エリアのアクセス方法、入場料などの関連情報をご紹介します。その次に、十三陵観光エリアの近くの有名な観光スポット・居庸関長城、そして昌平区の有名な温泉リゾート地をご紹介します。さらに、北京の代表料理・羊肉のシャブシャブの起源にまつわる物語や、特色、北京市内の名門店などをご紹介します。ぜひお聞きください。(任春生)