日本の書道家小林芙蓉女史一行が大興善寺と青龍寺を訪問

2017-06-06 10:46:48 CRI
大興善寺にある空海の銅像前で

 【中日国交正常化45周年記念特集】

空海を追いかけて

--日本の書道家小林芙蓉女史一行が大興善寺と青龍寺を訪問

 今年は中日国交正常化45周年にあたる年。この記念すべき年に、日本の書道家小林芙蓉女史一行40人余りが5月の末、空海ゆかりの地・西安に向かいました。

 一行は、密教の発祥地とされる大興善寺と青龍寺を訪れ、大興善寺と青龍寺の住職を兼任する寛旭阿闍梨が主宰する読経活動を見学しました。

 寛旭阿闍梨は、青龍寺の「恵果空海記念堂」で、仏像の前に座り、読経し、幸多からんことを祈りました。

 当時、空海は青龍寺で恵果阿闍梨に教えを受け、中国の文化や科学、密教に関する経文などを学んだとされます。今回の訪問は、そんな空海や恵果阿闍梨への表敬を目的としたものです。

 同時に、中日国交正常化45周年を記念する意味を込め、中国国際放送局日本語部を代表して万兵氏が、小林女史、寛旭阿闍梨と共に、中日友好記念碑の除幕を行いました。

 小林女史は自ら携えてきた日本の高野山金剛峰寺の泉の水を自ら植えた松の木に与えました(高野山は日本の真言宗の総本山で、空海法師が入定した場所)。

 小林女史は寛旭阿闍梨に両国の友好を祈る内容を記した書道作品を贈呈しました。

 記念碑除幕式後は、全員は和やかな雰囲気の中で歓談が始まりました。寛旭阿闍梨は「小林女史は中国対して深い感情を持つ書道家・画家であり、中日両国の友好の使者でもある。われわれは小林女史と手を携え、書道を絆に、中日文化の交流を促進し、これからも両国民の間の相互理解や友好関係の増進に新たな貢献をしていきたい」と語りました。

 寛旭阿闍梨は、年末に予定されている密教の総本山である大興善寺の書画展に小林女史を招くとともに、小林女史に観音菩薩の像を贈呈しました。小林女史は「日中の文化交流の歴史は長い。この友情を引き継ぎ、世世代代に伝えていきたい」と語りました。

 その後、小林芙蓉先生一行は、大興善寺を訪問、寛旭阿阇梨を法主とする法会に参加、一向全員で、亡くなった人々の冥福、生きている人々の幸せ、世界の平和などを祈りました。

 延暦23年(西暦804年)、空海と最澄は遣唐使と共に、唐代の中国にわたりました。入国後は、各地を転々としながら長安(今の西安)に入り、多くのお寺を訪ね、師を探し、翌年の3月、ようやく青龍寺の恵果阿闍梨に弟子入り、恵果阿闍梨は自らの知るところをすべて空海に授けましたが、惜しいことに、同年12月、恵果阿闍梨は亡くなってしまいます。その後、空海は様々な場所で修行にはげみ、806年の10月に日本に帰国。中国の仏教や医学、文化芸術を持ち帰っただけではなく、日本最大の宗派、真言宗を創立、また、日本の書道の基礎も築きました。その意味で、青龍寺は密教の総本山であり、日本の真言宗の本山でもあると言うことができるでしょう。

 その後、小林女史一行は、大興善寺境内の博物館を見学、寛林法師の説明を受け、歴史や仏教、空海及び空海がかつて滞在した長安、大興善寺、青龍寺について、深い理解を得たといいます。

 寛林法師と同行の人々の見守る中、小林女史は大興善寺で作品「愛」を完成しました。両国民は友情と愛を大切していくよう祈るという気持ちが込められているとのことです。

 空海が唐に入り、仏教などを持ち帰ったことを記念するため、高野山清凉院の静慈圓住職は1984年から空海の入唐ルートを辿ったといいます。静慈圓住職は、その20年余りの努力を経て、空海が福州から上陸し、そして廿八都、仙霞嶺、衢州、龍遊、杭州、河南を経て、最後に西安の青龍寺に辿りついたことがわかったそうです。

 そして今も、静慈圓住職の影響を受けたますます多くの日本の法師らが「空海の道」を辿る旅に出ているということです。(万、藍)


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